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DATE: 2006/04/02(日)   CATEGORY: 未分類
2006年フランスの旅ーー「お骨」を求めて三千里
三月十三日から十八日まで、駆け足でフランスに行ってきました。会議と会議の合間を縫っての資料収集旅行です。今回は、最近興味を持っており、小学館ヴィジュアル選書で執筆することになった「聖人とその遺骸信仰」をテーマとする本のための取材です。とはいっても、小学館からお金が出るわけではなく、担当のTさんからは「よいご成果を祈ります」というメールが来ただけ。
中世の説話や仏教書の言説を研究する私が、なぜヨーロッパカトリックの聖遺物に関心を抱いたかというのは、話せば長くなるのですが、簡単に言ってしまうと、舎利信仰や聖徳太子・弘法大師の遺骨や遺体への信仰のあり方が、なんとなく聖遺物崇敬(崇拝、とはいわないそうです)に似ている気がする、というだけのことでした。私はイタリアがミーハー的に気に入っていて、数回訪れたのですが、なんといっても心に残ったのはローマのサンタ・マリア・デ・ラ・コンツエチオーネ教会(通称骸骨寺)の数万体もある遺骨を装飾品として「見せる」あり方や、シチリアのパレルモにある通称「ミイラ博物館」の、白骨化した遺体を麗々しく着飾らせて「陳列」するようなあり方でした。日本人なら遺体や遺骨は通常隠すべきものとして扱いますが、ヨーロッパでは「飾る」のです。しかもそれは冒涜でも何でもない行為らしいのです。ここに端を発して、私の遺体への興味が生まれました。
もちろん、こうした研究はすでに日本でも行われており、たとえば小池寿子氏の「死の舞踏」の研究は有名です。ヨーロッパにも当然たくさんの研究の蓄積はあるでしょう。しかし、カトリックにおける遺体と日本の舎利信仰、遺骸信仰を結びつけた本格的な比較文化論的研究はあまりないのでした。20年くらい前に、中村生雄氏が「聖人と聖遺物」という論文を発表されており(参考文献はこの旅行記の最終回に列挙します)、そこで舎利信仰との関連を示唆されているくらいです。なーんだ、みんな興味は持っているけど本格的に比較はしていないんだなあ、というのが私の素朴な感想です。では、自分がやってみるかと軽率な私は思ったのでした。
しかし、ヨーロッパカトリックと日本の信仰とが「似ている」という場合、単に「似ている」と言っただけでは何にもなりません。遺体を「見せる」(たとえば、舎利は水晶の塔などに込められていますが、あれだって見せるためのものです)のはいったいどのような心性に基づいているのか、また、日本とヨーロッパでは何が違うのか、明らかにする必要があるわけです。
そのほか、日本との関係でいえばなぜアジアを取り上げないで遠くのヨーロッパにいっちゃうのか、という批判が当然出ることでしょう。日本とアジアなら、直接的な影響関係も考えられますから。ところが、文献をいくつか調べた結果、中国や朝鮮における遺体信仰という問題は、「肉身像」(ミイラのこと)の研究は少しあるものの、ほとんど論じられていないようなのです。それも古い時代のものはまったくといってよいほどヒットしません。これは私が勉強不足なのだと思いますのでもっと調べてみるつもりですが、日本中世の仏教世界とヨーロッパ中世のカトリックの世界とは、なぜか似ているように思えてならないのです。影響関係がないものが似ているとなると、そこには何らかの思想的共通性があるとしか思えません。
私がこんな思いこみをするきっかけとなったのが、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』です。最初は映画しか見ていなかったのですが、あの映画はハリウッド映画にしてみればよく出来ていると思います。しかも、エーコが分析対象にしたことのある「007」シリーズの主演男優・ショーン・コネリーが主演でしたしね。
あの映画を見たとき、「何や、日本の中世寺院とそっくりやんか」と思ったのは私だけではないでしょう。お稚児さん愛、遍歴する僧侶たち、写本室に迷宮のような図書館・・・舞台は1347年の北イタリア。ペストがはやった年でもあります。この年、わが愛するテクスト『渓嵐拾葉集』はほぼ完成していました。ますます親近感がわきます。
・・・このような体験があるので、いつかは中世ヨーロッパと日本中世との比較をしてみたいと思っていたわけです。そこへきて、ここ十数年ヨーロッパを旅行するようになり、なんということのない教会にさりげなーく聖遺物が置いてあることを思い出したのでした。
聖遺物とはキリストやマリアを代表とし、そのほかの聖人の残したものを言います。キリストの聖遺骸布は有名ですね。マリア様のお乳とか、衣の切れ端などというのもありますが、なんと言っても多いのは聖人の遺骨です。イタリアでお骨の「陳列」を目にしていた私は、聖人の場合はどうなのだろうと思い、それを確かめるため今回フランスに行くことにしたのです。なぜフランスかというと、フランスには数回行っており少しは慣れているということがあるのですが、パリに留学していた友人の言っていた言葉が頭に残っていたからです。
彼女がパリに住んでいたときのこと。ある日、郊外の小さな街にふらふら遊びに行くと(街の名前は忘れたんだそうです)、日曜日だったので教会の前に人々が群がっていました。彼女は単なる礼拝だろうと考え、自分もその行列に並びました。すると、行列の先には台のようなものがあり、そこには彼女いわく「腐ったような骸骨」が無造作においてあって、人々はそれにキスしてから教会へ入ってゆくのです。彼女はさりげなーく列を離れたそうですが、これを聞いた私は、当時まったく聖遺物などに関心がなかったものの、なぜか気になる出来事として頭の中にしまい込んだのでした。
今回、その街がどこかはわかりませんでしたが、とにかくフランスに行けば聖遺物(私の場合「お骨」限定)があちこちにあるように思えて、幸いエールフランスのマイレージが溜まっていたこともあり、一年半ぶりに海外見学とあいなったわけなのです。
これから数回にわたってフランス滞在記を書いてゆきますが、なにしろ一週間しかいられないので(しかも、関西空港からの直行便は夕方にしか着かないので、実働時間は三日しかありません)、ちゃんとした学術的な調査などはとても無理ですが、まずは自分の目でじかに見ることが大切だったのだと自分を納得させています。滞在記ですから、学術的なこと以外にも、いろいろ書くことになると思いますが、どうかよろしく。

さて。これからは「である」文体にします。

十三日。
関西国際空港お昼発のエールフランス・JAL共同運航便に搭乗。今回はアップグレードしてビジネスクラスなので楽なのはいいが、ビジネスに乗る人々の列の中で、私一人服装が浮いている。安物のダウンジャケットとジーンズはあまりにみすぼらしいが、しかし、今回はひたすら歩くのが主眼で、田舎へも行くのでこれでいいのである。ちなみに、ヨーロッパの大きな都市にのみ滞在する優雅な旅行の場合は、なるべくちゃんとした服装をお勧めする。女性ならワンピースかスーツをぜひ持ってゆくべきだと思う。でないと三つ星クラスのレストランでは浮くから。
飛行機の中ではひたすらシャンパンとワインを摂取し、化粧を落として早々と就寝。目覚めは非常に元気だった。私は時差ぼけがほとんどないのである(なぜか日本で日常生活をしているときのほうがぼけている)。
ここ数年、海外に行ってもあまり違和感を覚えることがなくなった。いつも一人旅なので、身辺には気を付けているのだが、昔のように「異国だ」という感じがしない。言葉が充分しゃべれるわけでもないのだが、すぐに街にとけ込めるようになった。ホテル着後、高等研究院で講義をしているI氏と夕食。パリでは雇用問題で学生たちがデモをしているらしく、ソルボンヌ大学が閉鎖されているので氏はギメ美術館で講義をしている由。その日は何もする時間なく就寝。

十四日。今日はパリの北にあるサン・ドニ寺院と市内のサン・エティエンヌ寺院で聖遺物を見る。いずれも「あるらしい」という噂が頼り。サン・ドニ寺院周辺は夜は危ないとのことなので、午前中に行く。地下鉄駅からすぐのところに、片方の塔が欠けた格好の寺院がすぐに見つかる。この寺院の名前の由来となったサン・ドニ(聖ディオニシウス)はパリの守護聖人で、殉教したとき斬られた首を持って10キロほど北に歩き、倒れた。そこにこの寺院が建立されたということになっている。このサン・ドニは首を斬られたことからその頭蓋骨が聖遺物として崇められたといい、十二世紀ころまでは寺院に実在したと伝えられている(本物とは思えないが。しかし、聖遺物は必ずしも本物である必要はない。能作宝珠という手作りの宝珠が本物として扱われるのと同じである)。寺院の中に入るがそれらしいものがないので、よく見てみると「ネクロポール」というフランス国王たちの墓所は別料金で入れるらしい。どうやらそこだと見当をつけて行くと、寺院正面の段(ちゃんとした用語がわからないが、仏教寺院でいうとご本尊がいるところ)に金属とガラスで出来た明らかに聖遺物箱と思われるものが三つ、おいてある。パンフレットによると、十二世紀にはここにサン・ドニのどくろ様があらしゃったそうな。
聖遺物箱には、遺骨らしきものが入っているのがみえるが、どこの骨かはまったくわからない。説明書には「フィリップ五世の娘・マルガレーテ・ド・フランドル 1382」とあり、左のがそうらしい。あとは単に「Reliquaire」(聖遺物)とあり、真ん中は1819年、右は14世紀の聖人の遺骨という。
京都造形芸術大学の水野千依さんのご教示によると、こうした聖遺骨がガラス箱に入れられて飾られるのはゴシック期の末期になってからのことだという。ロマネスク期にも聖遺物箱はあったが、ガラスのような透過性のある箱に入ったものを「見る」「拝む」よりは、それに「触れる」ことにより救済を得るものだったらしい。しかし、ゴシック期末期でも、聖遺物に接する人々はその社会的階層によってもイメージが異なるし、文字の習得状況によっても変わるのだということである。このへんは、私にはまだよくわかっていない部分であるが、日本中世においても貴族層と民衆では信仰の諸相は変わるのであるし、想像はなんとなくできる。しかし、「触れる」ことで救済を得る、というのは水野氏からご教示いただいてちょっとびっくりした点であった(この部分については、水野氏からのご教示により一部訂正を加えた。水野さん、ご迷惑をおかけしてすみません)。
ロマネスクとゴシックの思想的な違いがあまりよくわかっていないので、帰国後勉強することにして、後はルイ17世の心臓(これもガラス器に入っていた)をちょっと見て、心臓を大切にするのはエジプトともいっしょだと思った。日本ではどうだろう? 五臓のぬいぐるみを仏像の中に込める(嵯峨の清涼寺釈迦如来のように)のはあるが、心臓だけ取り出して安置するような事例は聞いたことがない。
ところで、お骨というのはいったいどのくらい「長持ち」するのだろうか? ここにある十四世紀といわれるお骨は、朽ちることがなかったのか? 平凡社編集部の松井純氏があるお坊さんに聞いた話によると、お骨は五十年もたてば溶けて水になってしまうそうなのだ。私が愛猫の遺骨をお墓に入れたときも、お坊さんが「すぐに土にかえりますからね」と言っていた。
なのに、西欧では数百年前のお骨がちゃんと残っているのである。これは気候の違いなのか、あるいはもっと別の要因があるのか。これは、いつか骨の専門家に聞きに行かねばならない。

サン・ドニでお昼になったので、スーパーマーケットでサンドイッチと飲み物を調達し、地下鉄でサン・エチエンヌ寺院へ向かう。すると、寺院の前に張り紙がしてあり、14時30分まで閉めるとのこと。しかたないので寺院前の階段でサンドイッチを食べ、鳩にパンくずをやったりして待つ。お天気がすこぶるよい。青空が京都とはまったく違う色をしている。
この寺院はあまりガイドブックには載っていないが(地球の歩き方には一応小さく載っていた)、パイプオルガンで有名らしい。時間が来たので数人の観光客とともに入ると、あった。右手のすみのほうに、三センチほどの聖遺骨がガラスの管のようなものに入れられて、ぽつんとある。見ると、サン・ジュヌビエーブの聖遺物と書かれた説明板があった。この聖人は420年生まれで70歳まで生きた女性である。私の貧弱なフランス語読解力によると、彼女の遺骨は初めここではなく別のところにあったのだが、(どうやら盗掘されたのか)一部はノートル・ダム寺院へ、ほかはここへ運ばれた、というのである。
この聖人についてはどんな人物だったのかよく知らない。帰って調べようっと。それにしても、聖遺物を見学に来ているのに、昔のフランス語やラテン語が読めないというのはまったく手も足も出ない状態である。聖遺物の多くはオリエント世界から十字軍によってもたらされたものであるが、フランス国内でも何度も移動しているし、その都度「移葬記」(日本でいう寺社縁起に相当する)が作られているのだが、それがまったく日本語に翻訳されていないのだ現状だ(そりゃそうだな。「長谷寺縁起」のフランス語訳なんてないからね)。ヨーロッパでは古文書の大半は文書館に保管されているので比較的見るのはたやすいと阿部謹也氏の本で読んだことがあるが、フランスの宗教がらみの文書も文書館にあるのだろうか? しかし、とにかく言語力のない私には何も出来ないのが歯がゆい。

教会は夕方に閉まるので、その後は夕食の調達に行く。今回宿泊しているのはまさにデモが起こっているカルチェ・ラタンなのであるが、このへんにはいっぱい食べ物やさんがあり、不自由がないのである。お総菜で有名な「ジェラール・ミュロ」に行き、鴨のグリルとパンを買う。そういえばパリでは鳥インフルエンザが蔓延しているというが、鴨、大丈夫だろうか・・・。あまり深く考えないで、次に市場でワインを一本仕入れる。パリでは英語が通じない、という「神話」を信じている人はまだ多いが、杞憂である。英語と少しのフランス語の単語で充分通じる(しかし、田舎ではそうはいかなかった。このことは後に書こう)。
その夜は、日本から持ってきた文庫本の二冊目を読んでしまい、ちょっと後悔する。パリにもあの「ブック・オフ」があるらしいが、あんまり行きたくない。
明日はブルゴーニュ地方の中世都市・ヴェズレーへ行くため早起きだ。

この続きはまた後日。
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COMMENT

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● お骨覚書
えむらです | URL | 2006/04/07(金) 07:59 [EDIT]
お骨はそう簡単に土にかえんないみたいみたいですよ。日本の遺跡でなかなかお骨がでないのは酸性土壌にカルシウムが溶かされてしまうからで、甕棺で密閉して防土、防水してると弥生人骨でも結構残ります。砂の中も残りやすく、弥生の土井ケ浜(山口)、鎌倉の材木座はどちらも海岸、私も志摩の海岸遺跡でほぼ完全な中世人骨を見たことあります。あと火葬骨はよく残るようで、中世火葬墓遺跡の骨蔵器になってる壺には大抵中身が残ってます。西洋は火葬はないけど、復活の日を想定した経験的保存方法があるのではないでしょうか。 失礼しました

しまだなおゆき | URL | 2006/04/09(日) 19:36 [EDIT]
ご無沙汰しております。
学会掲示板からやってきました、「なまもの」担当のしまだです。

>ところで、お骨というのはいったいどのくらい「長持ち」するのだろうか? 
>ここにある十四世紀といわれるお骨は、朽ちることがなかったのか?

骨は歯と並び、我々人間のもつ器官の中で一番「長持ち」する部分です。
骨学の教科書や辞典を見ると数百年以上、長いもので1000年以上維持される場合もあるとのことが記載されています。
(50年で溶けて「水になる」ようなことはまずないでしょう!!)
しかし、先述したレンジを見ていただいてもわかるように、「どのくらい」という部分では曖昧なのです。これは収集し、平均値を取ることが難しいデータだからだと思われます。

土に埋める場合で言えば…

えむら先生もおっしゃられている様に、まず「土壌」の問題があります。
pHももちろんそうですし、土に含まれる諸物質の量も大きく関わります。
土中湿度や地下水の有無なんかは非常に大きな要因となりえます。
また土中生物相が変われば、分解速度は全然違ってきます。

次に、(土以外の)環境要因があります。
天候や気候、温度、空気の流通という外的条件はたとえ土の中にあっても、その影響は大きいと思われます。(雨の多い地域と雨の少ない地域、温度が高い地域と低い地域では必然的に異なって来るでしょう)

そして、死体自身の条件というのもあげられます。
人間は(というか脊椎動物全般ですが)年齢によって骨の大きさ、密度は異なります。
また、男性か女性かによっても骨の形状や密度は違いますし、同い年で同性だからといっても体格差があれば骨の状態は異なります。
人種に因ってもこの「骨」の差はあります。
この個人差が分解速度の差を生むと考えられるのです。
加えて死因となった病気、あるいは死に至らなかったにしても、存命中に罹ったことのある病気の中に、骨に影響のあるものが有ったか無かったかというのも影響としては大きいでしょう。

こうしたことから考えても定量的に平均値をとることは難しいのです。
逆に、「どのくらいまで持つか」という最長限度で言えば、発掘されている最古の人骨程度までさかのぼることができるということになります。


土に埋めない場合で言えば、保存状態さえ整っていれば(脱灰が促進されない状態であれば)数百年は確実に残ると思われます。

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