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DATE: 2006/04/09(日)   CATEGORY: 未分類
聖遺物に関する(日本語で読める)文献案内
昨日はなんだか曇っているなあ、と思っていたら黄砂だったそうです。花粉もさかんに飛散しているようで、アレルギー体質の私は顔にひどい発疹が出てしまいました。アレルギー治療薬のきついのを飲んだら寝過ごしてしまい、8日に予定されていた「日吉神宮寺跡現地説明会」にすっかり間に合わない時間に起床しました。かなりショックです。

さて、3回にわたって旅行記を書いてきましたが、極力内面の描写を避けて体験だけを列挙しましたので、なんだかいつもの私の文章とは違った感じです。あせって書いているのがよくわかりますね。
このような素人の旅行記を読んでくださるのは、私の知り合いだけだろうと思うのですが、これだけですとまったく何の役にも立たないので、これから聖遺物について、あるいは中世ヨーロッパ世界の信仰について何か読んでみたいと思う方のために、現時点において私が集めた日本語で読める文献(今回は書籍のみ。論文もたくさんあります)をご紹介しておきましょう。おそらく外国語の文献はもっとたくさんあるでしょうし、翻訳されていないものも多いのですが、とりあえずということです。未整理なので刊行年代など順不同であることをご承知おきください。また、書店で入手不可能なものも含まれていますが、「日本の古本屋」などのサイトにはまだ載っていることもあります。関係するものとして、ヨーロッパの風土を知るための本も混じっています。

植田重雄『ヨーロッパ歳時記』岩波新書、1983
小池寿子『マカーブル逍遥』青弓社、1995
  (小池氏の本はこのほかどれも必読です)
池上俊一『身体の中世』ちくま学芸文庫、2001
  (池上氏のほかの本もすべてお勧めです)
青山吉信『聖遺物の世界ーー中世ヨーロッパの心象風景』山川出版社、1999(聖人崇敬や聖遺物信仰もっとも詳しい日本語の本です)
ユッタ・シュトレーター・ベンダー『聖人ーー神的世界への同伴者』青土社、1996(聖人についての基礎知識が得られます)
植田重雄『守護聖人』中公新書、1991
森実与子『聖ヴァレンタイン物語』三一書房、1999
  (ボラギネの『黄金伝説』の安易な焼き直し、内容はすかすかです。読まないほうがいいかも?)
坂口昴吉『中世キリスト教文化紀行』南窓社、1995
谷泰『カトリックの文化誌』NHKブックス、1997
パトリック・ギアリ『死者と生きる中世ーーヨーロッパ封建社会における死生観の変遷』白水社、1999
  (聖遺物の盗難や商品化など、興味深い話題でいっぱい)
カルロ・ギンズブルグ『ピノキオの眼ーー距離についての九つの省察』せりか書房、2001
(あの『チーズとうじ虫』の人です。学生さんには少し難しいかもしれません)
ノルベルト・オーラー『巡礼の文化史』法政大学出版会、2004
渡辺昌美『中世の奇蹟と幻想』岩波新書、1989
  (入門書として手軽で読みやすいです。私が最初に手にした本もこれ。しかし、出典があげられていないので、原典を探すのが難しい)
ホイジンガ『中世の秋』上・下、中公文庫、1976
 (西欧だけでなく、日本中世をやる人でも必読書といえるでしょう。聖遺物をめぐる逸話もいろいろ出てきます)
竹下節子『聖者の宇宙』青土社、1998
 (聖者の一覧表が便利ですが、聖者の認定の仕方には諸説あるようですのでご注意ください)
エミール・マール『キリストの聖なる伴侶たち』みすず書房、1991
(これも聖者についての本。図版多数です)
M.Dノウルズほか『キリスト教史 4 中世キリスト教の発展』平凡社ライブラリー、1996
(わたしのような素人さんにとって、基礎知識を仕入れるのにいい本)

以上が、聖人と聖遺物に関係する本です。旅行記でもお名前をあげました水野千依氏から教えて頂いた文献もありますが、ほかのものは私が自力で探したものなので、果たして西欧中世研究者の目から見てふさわしくないもの、読まない方がいいものもあると思います。ご意見賜れば幸いです。

以下は「お骨」とミイラについての文献です。
松本昭『増補日本のミイラ仏』臨川書店、1993(ルポルタージュですからあまり学術的な内容ではありません。写真が豊富です)
土方正志・酒井敦『日本のミイラ仏をたずねて』晶文社、1996
(これもルポ。ミイラ仏というと、とかくこのようなスタンスからの本が多くなります)
内藤正敏『日本のミイラ信仰』法蔵館、1999
(民俗学者兼写真家、内藤氏の本です。文献もよく調べてありますし、写真の迫力がすごいです)
藤井正雄『骨のフォークロア』弘文堂、1988
 (骨の研究はあまりないので、貴重な本ですが、分量が短いので駆け足で書かれている部分が多いのが残念です。文献の出典を探すのに難儀します)
日本ミイラ研究グループ編『日本・中国ミイラ信仰の研究』平凡社、1993(こんなグループがあるんですねえ。中国ミイラの貴重な写真が載っています。姉妹編もあるそうなのですが、未入手です)
ヘンシェン『頭骨の文化史』築地書館、1974
(本の作りが凝っています。写真資料満載で、髑髏さんの信仰や表象、実際の頭骨変形の文化などを紹介していますが、気味悪いので夜には見ない方がいいです)
このほか、医学書で『骨の辞典』朝倉書店、1995、というのがありますが、立ち読みしただけで買いませんでした(医学書は高いので)。解剖学や考古学からみた骨の研究も探さねばなりませんね。

私が「お骨開眼」したイタリアの骸骨寺とミイラ博物館については多くの人が言及していますし、有名なのではしょりますが、手軽に「おいしいところ」だけみたいという方には、

島村菜津『イタリアの魔力』角川書店、2001

を挙げておきます。興味本位の本ですし、『京都魔界案内』みたいなあやしいテイストの漂う本ですが、怖い物好きの方にはお勧め。とくにうちのゼミにくるような学生さんは好きだと思います。

このように、にわか勉強したわけですが、まだまだ自分なりの答えが出るところまでいっていないので、専門家の方がいらしたらぜひアドバイス賜りたく思っています。
そもそも私が舎利と聖遺物の関係に思い至ったきっかけの一つに、舎利を英訳すると「relics」になるということがありました。外国では舎利は聖遺物の一種として認定されているのだろうか、とそのとき思ったのが始まりです。舎利と「relics」との間に何があるのか、その答えを出せるまでにはもっと考えなくてはなりません。
この文献リストの紹介が、何かのお役に立てば幸いです。

今は聖遺物のことから少し距離を置いて、7月末締め切りの「聖天縁起」についての論文と、同じく7月末締め切りの『検定絶対不合格国語 古文編』という、国語教育への批判の本に力を入れています。
自分でもなにやってんだかなあ、という思いに駆られる毎日ですが、一見つながらないようなテーマが、きっとどこかで結びついてゆくような気がしてなりません。私は来世を信じていないので、生きているうちに好きなことしておきたいと思っています。

次回からは、最近読んだ本や、新入生さんたちへのメッセージなどを書いてゆきたいと思います、

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DATE: 2006/04/07(金)   CATEGORY: 未分類
2006年フランスの旅(後編)
今回はフランス旅行記の最終回です。
記憶が定かなうちに書いてしまおうと思ってはいましたが、三月末から四月初めは非常に忙しく、ようやく何とか時間をとったのでした。
私は毎年テーマを変える研究者なので、一度気になったら一年くらいそのことばかりに夢中になり、人にもそればかり話すので、今年も「またお骨の話?」などといやがられることしきりです。また、舎利信仰に始まって聖遺物、ミイラ、即身仏、そして近代では共産圏によくある指導者の永久保存遺体まで興味を持って本を読んでいると、おもしろくて人に話したくなりますが、冷静な人は「そんなに広げたら収集がつかなくなるよね」とか「資料をどんな視点でつなぐか整理が必要だよね」という忠告をくださいます。
その通りです。楽しいだけでは研究にはなりません。そろそろ自分の研究の姿勢を考えるべきときにきているようです。でないと、本も、図版と資料を並べただけのカタログになってしまうことでしょう。

昨年、文字通り「はまって」いたのは泉鏡花でした。一年間、中世文学の論文を書かなかったくらいです(近代と近世のお化けについての論文は三本書きましたが・・・・)。あまりに私が「鏡花、鏡花」とわめいていたので、ある日、『狂歌百物語』という本を探していたら、院生がいっしょに本棚をごそごそしてくれたあげく、「先生、鏡花百物語、はないですね」と言うのです。
鏡花百物語・・・それはそれでなかなかいい題名ですよね。
今年、私からの「被害」を被っているのは学生たちです。おかげで私の専門は「骨」だと思っている新入生がいるようです。今年は十二月に広島大学へ集中講義に行くのですが、そのテーマが「怪異と文学」なので、舎利信仰と遺骨信仰の話をするつもりでいます(安易に怪異といってはいけないのですが)。その資料としてミイラの写真(内藤正敏氏の『日本のミイラ信仰』法蔵館、にはミイラのアップをとらえた迫力ある写真が満載です)をパワーポイントで資料化していたら、夜、「ミイラジュース」を飲んでいる夢を見ました。干し首くらいの大きさのミイラの頭骨がプラスティックのコップに入っていて、それをぎゅーっと押しつぶしてジュースを飲むのです。気持ち悪かったですが、ジュースはパイナップルジュースのような味でわりあいおいしかったです。

さて、旅行記に移りましょう。

十六日。
昨晩なんとかパリに帰り着いたのだが、遅かったので疲れ切っている。夕食はあまりに面倒くさいのでホテル近くのカフェに入ったが、まずいことに有名な「カフェ・フロール」だったのに後で気づいた。ここは観光化されているうえ、やたら高いのである。しかたなくビールとサラダを注文して当たりを見渡すと、日本人の女の子が二人いて、皿に載せたケーキを手にvサインしてで写真をとりあっている。あのVサイン、私は大嫌いだ。いうとくけどね、パリやったらカフェの甘ったるいケーキよりも「サダハル・アオキ」のケーキのほうがよっぽど洗練されていると思うで。

本日はパリ市内をめぐる。
午前中は国立中世美術館へ行く。以前来たことはあるのだが、そのときはクリュニュー美術館といっていたような気がする。サン・ジェルマン・デプレから少し歩くといきなり廃墟のような建物が現れて、そこが美術館である。ここは一角獣と貴婦人を描いたタペストリーで有名で、私がフランスへ来る直前にタイムリーに発売された『芸術新潮』3月号「パリ 中世の美と出会う五日間」特集にその解釈をめぐるいろいろな説が記されている。が、やはりここでも私の目的は聖遺物箱を見ることである。
傾いたような古い建物にはぎっしりと中世の品々が陳列されているが、ある部屋に来ると、すでに内容を失った聖遺物箱ばかりを集めたコーナーがあった。いずれもガラスのまわりを金属の彫刻で囲ったもので、箱型だけでなく、まるで日本の舎利容器のような丸いドーム型のものもある。
ただし、舎利の場合は骨とはいえ粒状になっていて現状をとどめていないからほとんど生々しさは感じられない。また、もちろん荼毘に付されたはずのお釈迦さんの遺骨があるわけはないから、すべてが偽物、あるいは骨以外の物で作られた代替物を拝んでいるわけである。舎利の長さを仮に3ミリとしても、日本に将来された数千粒のすべてをつなぎあわせたとすると、お釈迦さんは三メートルを越える体であった、ということになってしまい、この点からも偽物であることは確定的である。舎利は分散といって個人の信仰心によって数が増える奇跡を現すから、増えたぶんはおそらく誰かが作ったのである。
この舎利の分散に似たことが、インドの聖遺物でも起こっているということを小坂幸代氏の論文で読んだ。インドでは聖人のひげ、髪の毛、爪などの身体的聖遺物を祀るが、ひげがあるとき二股にわかれたのでそれを分けて祀った例を小坂氏は実見している。
舎利は「見る」ことに主眼をおくが、聖遺物は実際に信者が口づけしたり手で触れたりすることがあるので、このあたりが日本と西欧カトリックとの違いであるのかもしれないが、まだまだよくわからない。なお、舎利容器の実物は、奈良国立博物館で行われた「舎利と宝珠ーー釈迦を慕う心」という展覧会に出品され、図録にもなっている。
中世美術館でわりあいに無造作に展示された聖遺物箱を目にすると、こうしたものが中世には数限りなくあったのだろうと思われる。しかし、内容物のない聖遺物箱はなんだか荒廃した感じがあり、さむざむしい思いがした。
美術館ではほかに写本などを見たが、あとはさっと流して退館。美術館や博物館では、なにかテーマを決めて見るほうが楽しいなあ、と思う。パリへ来たらほとんどの人がルーブルやオルセーに行くのだろうが(もちろん私も初めて来たときは行ったが)、興味の的を絞らずに漫然と見ても何も覚えていないのではないだろうか。私は日本人が好きな印象派絵画というのがまったくだめで、オルセーに行ったときは「まあ話のついでだから見ておこうか」という程度だった。中身はまったく覚えていない。こんなのはお金と時間の無駄である。

お昼になったので、昼食に行く。ルーブルのショッピングプラザの二階に各国料理のファーストフードがあると聞いたので、行ってみるとなるほどお手軽にいろんなものが食べられるようになっている。日本人の姿はないようなので、ここは穴場かもしれない。モロッコ料理のコーナーに並び、よくわからないのでクスクスとミントティーを注文する。9・5ユーロ也。ファーストフードにしては高いが、パリは物価が高騰しているのでまだましかもしれない。クスクスは量が多いが、ほかの女性たちはそのうえにお肉の煮込みなどを追加し、さらにデザートも注文していた。私はかなり大食なのだが、それでも外国ではしばしば量をもてあます。数あるお店のなかで、アメリカンのハンバーガー店にもっともたくさん人が並んでいたのが奇妙に思えた。
食事を終えて、ショッピングプラザで石けんやシャンプーの「ロクシタン」と化粧品の「セフォラ」を見る。おみやげを考えなければいけないからである。「ロクシタン」は京都にもあり、品揃えはほとんど同じ。「セフォラ」は一時日本にもあった化粧品のチェーン店だが、セルフサービスでいろいろなブランドの品物が買えるのが気楽である。とくに、香水やトワレの品揃えは豊富で、免税品店よりこちらがお勧め。春夏用のキャシャレルのトワレを買う。

地下鉄を乗り継いでギメ美術館へ。
ルーブルを初めとする観光地を通る地下鉄一番線はいつも混んでいるし、スリなどのトラブルが多いので、なるべく乗らないようにしているのだが、今回はやむなく数区間乗った。駅で、「地球の歩き方」らしきガイドブックを必死でめくっている女の子の二人連れを何組が見かける。気を付けた方がいいのになあ。
私が初めてヨーロッパへ行ったとき、いろいろ指南してくれたのは年上の友人で、彼はそのとき50回を超える渡航経験があった。彼に教えてもらったのは、「パスポートと帰りのチケット、いくらかの現金、そして予備のクレジットカードを袋に入れて首から吊っておく」ことである。いかにも一昔の日本人ふうで、薄着のときはかっこうわるいのだが、万一のことがあってもこれで日本へは帰れるわけである。腰に巻くのは、女性の場合トイレで落とす危険があるので、私はいつも吊っている。幸い、今まで盗難やスリに遭ったことはない。

ギメ東洋美術館も二度目である。ここの「白っぽい」雰囲気は好きだ。1月にとある研究会で「立ち上がる鰻の怪」というテーマで発表したとき、「立ち上がるもの」の一例としてギメ所蔵のインドのナーガ像を使ったのであるが、それを実見するのが目的である。
ギメというと、少しく思い出がある。私が広島大学の助手をやめて京都の短大に就職したとき、ふるさと・関西で初めて行った展覧会が「よみがえるパリ万博と立体曼荼羅」というギメの日本初展示だったのだ。例の、エミール・ギメがわざわざ作らせてフランスへ持ち帰った東寺の立体曼荼羅像や、室町時代くらいによく作られた大黒天やあやしい宇賀弁才天の小さな像がたくさん出展されていた。会場には、ベルナール・フランク氏が来ておられ、友人らしき人に流暢な日本語で解説されていた。
ギメは、じっくり見ていたらいくら時間があっても足りないので、今回はインドの部を中心に見ることにする。太ったガネーシャ像の前で、小学生らしき生徒に先生が解説をしている。何といっているのか気になる。
ナーガ像はガラスケースの中に見つかった。蛇が鎌首をもたげた格好なのだが、下半身は失われている。30センチくらいの意外に小さな像だった。ほかに、釈迦の後ろに立ち上がったナーガがまるで傘のように身を広げて釈迦の頭上を覆っている像がいくつかあるが、このナーガの下半身はとぐろを巻いているのである。すると、私が見たかったあの像も、下半分はとぐろだったのかもしれない。とすると、「立ち上がる鰻の怪」、すなわち、鏡花と岡本綺堂が描いている鰻の怪が「鎌首をもたげる蛇」の像容にヒントを得たものであるという私の説があやしくなる。蛇は鱗があるが、鰻はぬめぬめした肌で、その点も異なる性質を有するものなのだが、普段這っているものが「立つ」ことが喚起する恐怖感や生理的な感じを説明したかったのである。むむ、これは出直しかも・・・。再考を要す。
次にチベットの部へ。チベット仏教というのがよくわからない。タンカ(チベットの仏画)はある部分、日本密教のそれに似ているが、何か異常に過剰な感じを受けるのはなぜだろうか。もっと勉強すべきだなあ、と思って見ていると、頭骨を使った儀式用の杖を発見。頭蓋骨の縫い目がありありと見える。髑髏杯みたいである。
髑髏、といえば中世にはやったという髑髏法が当然想起される。国王や父母、そして「頭の大きな人」の髑髏を本尊として修法を行うという、「外法」といわれるものであるが、これが鎌倉時代にかなり普通に行われていたことは拙著(『外法と愛法の中世』平凡社ライブラリー)に少し記した。この髑髏本尊の作り方のおどろおどろしさはすでに喧伝されているが、当時の人にとってほんとうにおどろおどろしかったのだろうか? 戦乱を体験した中世人にとって遺体とか人骨などはごく当たり前に目にされるものであろうし、鳥辺野などに遺棄されて白骨化しているものもあるはずで、遺体と隔離されている現代人とはまったく感覚が違うことは間違いないだろう。だが、葬るべきもの、死のケガレというタブーをまとっている遺体や髑髏を本尊にしてしまう感覚というのはどのようなものなのか。
そういえば、浅井長政の髑髏杯、という伝説もある。あれは権力者が敵を辱めるためにやったと理解されるが、そんなことをした信長が単なる変わり者だったといえるのかどうか、疑問である。
日本の中世人の、お骨への感覚を「実体験」することは難しいだろうが、こうした感覚のかけらでも資料から見つけられればと思う。

ギメの最上階には日本の部がある。もちろん、東寺の立体曼荼羅は通常展示にはなっていない。ここには、日本人から見ると実に雑然とした展示がなされている。能面の横に土偶があり、その横に「三十六歌仙絵」が飾られる。浮世絵も定番である。うーん。時代ごちゃまぜのこの感覚にはついて行けない。NYのメトロポリタン美術館の方がまだ整合性のある展示をしているように思う。しかし、もしかしたら日本人だって海外の美術品を展示するときにおなじような誤りを犯しているやもしれず、それはインドやパキスタンの部の展示にもいえることである。パキスタンの人から見たら「変」かもしれないからねえ。
西洋諸国の博物館や美術館で東洋の古いものを見ると、「麗々しく展示してあるけど、みーんな略奪してきたもんやんか」という気分になることが多いが、ギメは「買ってきた」ものがほとんどなので、まあ許せるか。ちなみに、ギメの仏教書の調査をした人によると、(文学研究者にとってだが)ろくなもんがないというが、一度見てみたいものである。

ここでかなり疲れ果てて、行く予定にしていた国立図書館の展示はスキップすることにする。イスラムの写本というのは興味があるので残念だが・・・。そこで一度ホテルに戻った。
一休みしてから、また地下鉄で買い物に出る。自分へのおみやげを買うためである。いくら貧乏旅行とはいえ、何か記念になるものが買いたい。私はピアスを集めているので、パリではよく「アガタ」へ立ち寄ったのだが(「アガタ」は日本の六割くらいの価格で、パリではお買い得)、今回は日本では青山にしか出店がない「レ・ネレイド」というブランドへ行く。ここは、花モチーフで有名なアクセサリー屋。本店の扉を押すと、目くるめくほどの数のピアスとネックレス、ブレスレットなどが並んでいる。迷いに迷った結果、珍しい「きのこ」と花モチーフのピアスとネックレスを購入した。宝石ではない、ただのアクセサリーなので安いもんである。お店の女性に「京都にもぜひ出店をお願いする」と言って店を出る。
次にギャラリー・ラファイエット(デパート)へ。私は外国に行くと、お寺、市場、本屋、そしてデパートには必ず行ってみる。平日なのにごった返す店内、購買欲豊かな女性たちは日本と同じである。少し洋服や小物売り場を見て、地下食品売り場へ。大学の人々へのおみやげにチョコレートを買う(チョコレートくらいしかおみやげの選択肢がないのである)。ついでに夕食のためにテイクアウト容器に入ったサラダと、あまりきれいだったので日本食が恋しいわけではないけど「スシ」セットを買ってみる。「スシ」は「カブキロール」という名前で、やたら高かった。お寿司はNYで食べたのがよかったが、これもそんなに悪くはなかった。わさびが別添えになっていて、いちいち塗るのが面倒くさいくらい。
ホテルの近くまで帰り着き、大手チェーン店らしき本屋さんに入るが、私の集めている猫の写真集などはなかったので何も買わずに出る。昨日から活字中毒の禁断症状が出ているので、英語の本でもあれば買おうかと思ったが、ない。イタリアに行ったときは、イタリア語版の「猫の図鑑」というオールカラーの本を入手し、「目」とか「足」などといった単語をそれで覚えられたので、フランス語版があるかと思ったのだが。

十七日。
今日帰るのである。あっという間の滞在だった。朝のうち少し散歩して、朝食を多めに摂る。飛行機が半端な時間なので、これでおなかをもたせようというわけだ。
ホテルから地下鉄二駅先に「奇跡のメダル教会」というややあやしげな名の教会があり、そこには130年間遺体が腐らない「聖カタリーナ」様がいるというので興味をひかれたが、ご遺体を見ることが出来ないとのことで行くのをやめる。どういうしかけなのだろうか、腐らないというのは。日本でも、腐らない(ということになっている)高僧の遺体の話はたくさんあるし、シチリアのカタコンベ(通称ミイラ博物館)には生きているとしか見えない少女の遺体があった。死蝋でもなく、生前の姿を保つことなどあるのだろうか。アメリカの死体化粧術であるエンバーミングでもすれば別だろうが・・・。
空港に着くと、日本人の姿も多くすでに帰国したような気分である。このまま飛行機に乗ってしまうと読む物がなくて苦しむのは必定なので、売店で雑誌などを物色していたら、以前から気になっていた「外国人のための日本の観光案内書」があるので手にとってみる。「ロンリー・プラネット社」発行というのは、「地球の歩き方」みたいなシリーズであろうか。かなり分厚い。なお、「地球の歩き方」は、田舎や小都市に行くときはまったく役に立たないのでみなさんご注意ください。グルーンミシュランがわりといいのだが、フランス版は現在売り切れ。
「JAPAN」というその案内書をぱっと開くと、トウキョウのアキハバラが大きく紹介され、その下のコラムは「ニホンノフシギナカミサマ」と題され「キツネ」「テング」「カッパ」「ベンザイテン」などがごちゃまぜに紹介されている。おもしろそうなので少々高いが買う。
読み始めると、これがやめられず、結局関空到着まで一睡もせずに「京都」「奈良」「大阪」「兵庫」の部分を読破した。なるほど、一般的な外国人さんが日本のどんなところに観光にくるのかよくわかる。京都では、定番のお寺のほかに、銭湯が(それも、地元民もよく知らないような小さな銭湯)が紹介されている。「京都はグリッド・システムになっているので、あなたは自分が立ってる位置をすぐに把握するであろう」などと書かれている。条坊制はこう訳せばいいのだな、いろいろと役に立つものだ、ふむふむ。巻末に「知っておきたい日本語」があって、「zen」「izakaya」と並んで「chikan」も見える。
関空は曇り空で、寝不足の私は、フランス滞在ののんびりした時間があっというまに遠ざかっていくのを感じつつ、日常に戻ったのであった。

・・・ということで、今もお骨の研究は継続中です。担当のT氏が締め切りを11月末などと言ってきたのですが、いろいろな問題に自分なりの解答を出すにはあまりに短いので(しかも、7月末と10月末にそれぞれ書き下ろしの締め切りがあるのだ! いくらなんでも無理でしょう)、三月末ということで納得してもらいました。さて、私のお骨への旅はそれまでに終わるのでしょうか。予定は未定、ということで、ここでつたない旅行記を終わらせて頂きます。おつきあいくださった方にはお礼申し上げます。
お骨関係の参考文献リストは、次回といたします。
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DATE: 2006/04/03(月)   CATEGORY: 未分類
2006年フランスへの旅(中篇)
お骨との対面を果たして満足した私の、稚拙なフランス日記、第二弾です。フランスへ行き慣れていらっしゃる方から見るとあほらしく思われるでしょうし、西欧文化を専門に研究されている方は、日本のことしかわからない者がなにを「研究」するのだとお笑いになると思うのですが、これだけは大きな声でいえます。

いくつになっても勉強はできる!

さて、お骨に話しを戻しましょう。
骨、とか、骸骨というと、近年若い人たちを中心にファッションの分野ではやりのモチーフとなっていることはすでにご存じでしょう。最初はおそらくパンクファッションの分野から「あえて不気味なものをモチーフとすることにより体制への反発と脱構築をもくろむ」といった趣旨で行われてきたと思われるのですが、ここ数年、そんなこと考えてない人たちに、単なるファッションアイコンとして髑髏さんは人気です。
かくいう私も、七、八年前でしょうか。クリスチャン・ディオールの「吸血鬼の花嫁」というシリーズで出されていた髑髏の指輪を手に入れ、得々としてはめていたことがあります(これはプラチナ製で歯列にダイアモンドがはめ込まれていました)。
西欧社会における髑髏イメージといえば、日本人にとって、海賊の旗がもっともポピュラーではないでしょうか。他には、危険物を示すマークもあります。この海賊の旗はそんなに古いものではないらしいというのですが、十五世紀にダンス・マカーブル(死の舞踏、骸骨が踊り狂っている絵や彫刻です)が盛行したことを考慮すれば、髑髏や骸骨が明らかに「死」の不吉なイメージの表象とされてきたことがわかります(このへんのことは、前回にもお名前を出した小池寿子氏や、若桑みどり氏の『薔薇のイコノロジー』などを参照のこと)。
日本でも確かに骸骨は即、死体を意味していたと思われます。六道絵や餓鬼草子に描かれた墓場の死体に白骨と化したものがしばしば見られる通りです。また、これは伝承にすぎませんが、一休さんが髑髏を杖につけて歩いたとか、「一休骸骨」なる戯画を描いた、などということも、「死」を濃厚に意識させる骸骨の使われ方でしょう。
しかし、日本では(これは単なる推測にすぎませんが)白骨と化した骸骨はむしろ清浄なもの、あるいはばらばらになったものは成仏したあかしとしてとらえられる場合があり、西欧の不浄感漂う不吉な骸骨とは異なっているように思えてなりません。
私は高校生のころ、沖縄独特の葬送儀礼である「洗骨」の詳細を聞いて非常にショックを受けたことがあります。ご存じでしょうが、洗骨とはほとんど風葬のようにしておいた遺体を数年後に取り出し、お骨を海水で清めることです。気持ち悪くないのか、と沖縄人に聞きますと、親族のものだからなんにも気持ち悪くない、との答えが返ってきました。白骨になれば清められるのかなあ、と今では思っています。

さて、前置きが長くなりました。今回はスペインの聖地であるサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道の出発地・ヴェズレー訪問の道中記です。

十五日。
朝早起きしてベルシー駅へ向かう。危ないところだった。なぜかというと、パリ市内から出るフランス国鉄の地方線はいくつもの違った駅が始発になっており、私が向かうディジョン方面はリヨン駅発がふつうなのである。事前にトーマス・クックの時刻表と、インターネットで調べておいたのだが、確かに目指すセルミゼーユ駅方面行きの普通列車は朝七時十分リヨン駅発になっていた。ところが、昨晩ふと時刻表を見てみると、リヨン駅発時刻の横に「b」という小さな文字を見つけた。不審に思ってよくよく欄外を見ると、この列車だけはリヨン駅の隣のベルシー駅発なのであった。これを逃すと日帰りでヴェズレーへは行けない。
パリからの日帰り「お骨ツアー」をヴェズレーにしたのには訳がある。フランスの聖遺物といえばコンクのサン・フォアの頭蓋骨を入れたといわれるキンキラの像が有名なので、最初はそこに行こうかと思っていたのだが、この像はたくさんの図録に載っているし、実際にお骨が見られるわけではないので、いろいろ探しているうち、ヴェズレーにサン・マリ・マデレーヌの骨のかけらがあるとの情報を得たのである。
ヴェズレーという中世都市は、ロマネスク期にマリ・マデレーヌ、すなわち『ダヴィンチ・コード』で人口に膾炙したマグダラのマリアのご遺体がある、といわれてにぎわったところである。12世紀前期建立の寺院もある。ここは先に述べたように、サンチャゴ巡礼の始発点の一つでもあった。その相乗効果で12世紀まではかなりにぎわったらしいが、マグダラのマリアの遺体は本当はプロバンスの方にある、という噂が流れ、あっという間に凋落した街なのである。
ダヴィンチ・コード人気に乗っかって作られたテレビ番組には、荒俣宏氏がマグダラのマリアの頭蓋骨と称するお骨を前にしているものなどがあったが、マグダラのマリアの遺骨といわれているものはかなりの数に上るらしい。もちろん、実在の人物であるかどうかまったく不明なのだから、お骨じたい非常に怪しいのだが、信仰者にとって本物かどうかは別問題なのだろう。
私がお骨を実見することにこだわっているのも、中世の「奇跡」を信じた人々が、(本当はきたない、どこの誰のものともわからない)骨を前にしたとき、どんな感じを受けたのかなあ、という好奇心によるものだ。現代人の私が見ても何も感じないかもしれないが、やはり見てみないことにはわからない。
ヴェズレーは六月に大きなお祭りがあるということで、ホテルやレストランはそこそこある街であるが、何しろ人口490人という規模である。この寒い季節はずれの三月に観光客などほとんど来ないことだろう。フランスのベストシーズンは五、六月だと鹿島茂氏は言うが、この時期に海外に出られるような暇な大学教員はいないはずである。
実際に遺骨はないかもしれないが、私は実はパリ近郊を離れたことがないので一度「地方」に行ってみたかったこともあり、時刻表をにらんで日帰り可能なヴェズレーに決めたのだった。

本当はTGVに乗りたかったのだが(鉄道に詳しい原武史氏に言わせると鉄道マニアに女性はいないらしいが、私は時刻表を読むのが趣味でもある)、あいにくヴェズレーに一番近い駅には普通列車しか止まらない。セルミゼーユ駅というところで降りて、後はタクシーを使う。タクシーは前日、ホテルのフロントで予約してもらった。このへんは、木俣元一氏の『フランス ロマネスクを巡る旅』(新潮社、二〇〇四年)が大変役に立った。タクシーに乗るときのフランス語会話がついている。
フランス国鉄はええかげん、と聞いていたが、乗ってみると車両はきれいだし、いちおうアナウンスはあるし、安心していたところ、途中でいきなり20分停車した。アクシダン、という単語がわずかに聞き取れる。おかげで、セルミゼーユ駅には20分遅れで到着。駅、といっても見事に何もない田舎駅であり、もちろんタクシーの影も形もない。
しかたないのでタクシー会社に電話してみようと頭の中で仏作文していると、タクシー登場。あんたかて遅れてるやんか。
ところがこの運転手さん、まったく英語が通じない。私は「旅行者のためのフランス語会話」などを思い出して「これから寺院に行って、これこれの時刻に迎えにきてください」と言うと、何とか通じた。しかし、私は数字がよく聞き取れないので、このへんは筆談。
こういうと、いかにも私がぺらぺらフランス語をしゃべっているように思われるかもしれないが、大学の第二外国語でやっただけで、ほとんど単語の羅列である。「r」の発音なんか気にしていたらしゃべれないし、名詞の男性形と女性形の区別がつかないので全部定冠詞は「le」。
ええのよ、これで。だって、日本に来ている外国人、ちゃんとした日本語しゃべってますか? しゃべってへんでしょう?

というわけでヴェズレー到着。本当に小さな街である。帰りの列車が五時間後にしかないので、それまでうろうろしなければならない。まず、サン・マリ・マデレーヌ寺院にゆく。ちょうど小高い丘のてっぺんにある。窓の少ない典型的なロマネスク寺院である。しかし、人間の姿形がまったくない。勝手にドアを開けて入ると、キリストの昇天10日後を描いたタンパン(正面上部にある半円形の飾り彫刻)が目に入るが、とっても暗い雰囲気だ。美術史をやっている人にとってみれば柱飾りの一つ一つが資料の宝庫なのだろうが、私の目的は「お骨」である。
祭壇に近づくと、地下礼拝室への階段があったので、もしや、と思い降りてみると、あった。そこに。マグダラのマリアの聖遺物、と記されたガラスの箱だ。
暗いので顔をひっつけるようにして見ると、六、七センチほどの小さく湾曲したお骨である。どうやら、肋骨の一部らしい。飴色に光って見える。湾曲度が高いのと、骨の細さから、女性のものであることは間違いないようだ。
しかし・・・ここには「ない」はずのマグダラのマリアの遺骨が、どうして存在するのだろうか? 即物的な答えは、十二世紀にヴェズレーが凋落した後、誰かが、どこかから遺骨を調達してきて祀ったということになる。聖人の遺骨を盗むことは「聖なる盗み」として文化的運動とされたらしいから(Patrick J Geary『FURUTA SACRA』Princeton University Press,1978)、これもその一例であろう。空諦房の室生山舎利盗掘事件をふと思い出す。
民衆たちはどういった思いでこれを拝んだのだろうか。「ない」はずのものを「ある」と信じることこそが、信仰であったのだろうか。このお骨は何か奇跡を起こしたのだろうか。お骨に問うてみても、何も答えない。
しつこく写真を撮り、寺院の裏のテラスと呼ばれる高台へ出る。今日も空が「濃い」ほどに青く、テラスから眺めるブルゴーニュの丘陵地帯は日本にはない風景である。ここからサンチャゴまでは遠いなあ(私は六年くらい前にサンチャゴ巡礼を、車でした。少しだけ巡礼道を歩いたが、いろんな年齢の巡礼さんがたくさん歩いており、蟻の熊野詣、という感じだった)。
用事がすんでしまったので、時間をもてあますが、電話やメールを気にしないでいる時間というのは貴重なものだ。私にとって旅行とは「孤独になりに行くこと」と等しい。普段からも一人が好きなのだが、異国にたった一人いる、というどうしようもない状態が一年にいっぺんくらいないと窒息してしまう。
丘を降り、ヴェズレーの観光案内所(ヨーロッパにはどんな田舎町でもこれがあるのだね)で地図をもらい、街中にあるロマン・ロランとジョルジュ・バタイユの住んでいた家を見る。街は死んだように静かだ。昼食をとろうとレストランを物色していると、駐車場で黒猫発見。パリ市内では野良猫や野良犬はすぐに「処分」されてしまうが、このへんでは自由らしい。猫の鳴き真似をすると寄ってくる。しばしおなかをなでたりして、猫語が世界共通であることを認識した。
こんなんでもうかってるんでしょうか、といいそうな閑散としたレストランで定食をとり、せっかくなのでヴェズレーの地ワインをいっぱいだけ頼むと、薄い赤で妙に石灰分を感じる味だった。
これからの時間、どうしようかと地図を見ると、ここから2キロほど離れたサン・ピエール村にゴシック期の教会があることがわかった。この村は九世紀に出来た古い中世の村で、今でもその雰囲気があるという。もちろん行ってみることにする。
古い道を抜けて国道に出ると、なぜかベンツのSクラスやBMWといった高級車がびゅんびゅん私を追い越してサン・ピエール村へ疾走してゆく。村についてその訳がわかった。ここにはミシュランで三つ星を得たレストラン「レスペランス」があるのだ。車はみな、その大きな門構えの店に吸い込まれてゆく。
村は中心に井戸があって、いかにも中世の村落といった感じである。教会には残念ながら何も(お骨は)なかった。村人は一人も歩いていない。うまく写真を撮れば「ロマンチックなフランスの片田舎」などと雑誌で特集でもされそうだが、非常にさびれた建物ばかり。村人はなにで生活の糧を得ているのか、心配になる。
村を一周して再びヴェズレーへ。4キロの歩きがまったくこたえない。私は日本にいる間、ものすごく不摂生な生活をしているようだ。外国へ行くと元気になるが、単に精神的なものだろう。喉が渇いたので小さなサロン・ド・テで紅茶。あとはタクシーのお迎えを待つばかりである。
帰りは、曜日の関係でセルミゼーユ駅からの列車はないので、少し離れた別の駅まで行く。着いた駅舎がまったく何の看板もない建物で、言われなければ駅には見えない。駅員さんに本当に列車がくるのか確認して、外へ出てみる。ほんとうになーんにもない。むこうの方で白い大きな牛たちが寝そべっているだけである(法華経の「大白牛」というのはこれくらい大きいのか、などと思う)。なんとなく草地にしゃがむと、足下に「いぬふぐり」に似た青い小さな花が咲いていた。「春が来ていたのだ」と思った。この一年、職場に慣れるため花に目をやる余裕もなかった自分を振り返る。「春、なんだなあ・・・」

この後、無事5分遅れの列車に乗り込んで、私の長い一日が終わったのである。三つめのお骨に出会えて満足な日であった。

明日はパリの中世美術館とギメ美術館を再訪する予定。続きはまた今度。
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DATE: 2006/04/02(日)   CATEGORY: 未分類
2006年フランスの旅ーー「お骨」を求めて三千里
三月十三日から十八日まで、駆け足でフランスに行ってきました。会議と会議の合間を縫っての資料収集旅行です。今回は、最近興味を持っており、小学館ヴィジュアル選書で執筆することになった「聖人とその遺骸信仰」をテーマとする本のための取材です。とはいっても、小学館からお金が出るわけではなく、担当のTさんからは「よいご成果を祈ります」というメールが来ただけ。
中世の説話や仏教書の言説を研究する私が、なぜヨーロッパカトリックの聖遺物に関心を抱いたかというのは、話せば長くなるのですが、簡単に言ってしまうと、舎利信仰や聖徳太子・弘法大師の遺骨や遺体への信仰のあり方が、なんとなく聖遺物崇敬(崇拝、とはいわないそうです)に似ている気がする、というだけのことでした。私はイタリアがミーハー的に気に入っていて、数回訪れたのですが、なんといっても心に残ったのはローマのサンタ・マリア・デ・ラ・コンツエチオーネ教会(通称骸骨寺)の数万体もある遺骨を装飾品として「見せる」あり方や、シチリアのパレルモにある通称「ミイラ博物館」の、白骨化した遺体を麗々しく着飾らせて「陳列」するようなあり方でした。日本人なら遺体や遺骨は通常隠すべきものとして扱いますが、ヨーロッパでは「飾る」のです。しかもそれは冒涜でも何でもない行為らしいのです。ここに端を発して、私の遺体への興味が生まれました。
もちろん、こうした研究はすでに日本でも行われており、たとえば小池寿子氏の「死の舞踏」の研究は有名です。ヨーロッパにも当然たくさんの研究の蓄積はあるでしょう。しかし、カトリックにおける遺体と日本の舎利信仰、遺骸信仰を結びつけた本格的な比較文化論的研究はあまりないのでした。20年くらい前に、中村生雄氏が「聖人と聖遺物」という論文を発表されており(参考文献はこの旅行記の最終回に列挙します)、そこで舎利信仰との関連を示唆されているくらいです。なーんだ、みんな興味は持っているけど本格的に比較はしていないんだなあ、というのが私の素朴な感想です。では、自分がやってみるかと軽率な私は思ったのでした。
しかし、ヨーロッパカトリックと日本の信仰とが「似ている」という場合、単に「似ている」と言っただけでは何にもなりません。遺体を「見せる」(たとえば、舎利は水晶の塔などに込められていますが、あれだって見せるためのものです)のはいったいどのような心性に基づいているのか、また、日本とヨーロッパでは何が違うのか、明らかにする必要があるわけです。
そのほか、日本との関係でいえばなぜアジアを取り上げないで遠くのヨーロッパにいっちゃうのか、という批判が当然出ることでしょう。日本とアジアなら、直接的な影響関係も考えられますから。ところが、文献をいくつか調べた結果、中国や朝鮮における遺体信仰という問題は、「肉身像」(ミイラのこと)の研究は少しあるものの、ほとんど論じられていないようなのです。それも古い時代のものはまったくといってよいほどヒットしません。これは私が勉強不足なのだと思いますのでもっと調べてみるつもりですが、日本中世の仏教世界とヨーロッパ中世のカトリックの世界とは、なぜか似ているように思えてならないのです。影響関係がないものが似ているとなると、そこには何らかの思想的共通性があるとしか思えません。
私がこんな思いこみをするきっかけとなったのが、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』です。最初は映画しか見ていなかったのですが、あの映画はハリウッド映画にしてみればよく出来ていると思います。しかも、エーコが分析対象にしたことのある「007」シリーズの主演男優・ショーン・コネリーが主演でしたしね。
あの映画を見たとき、「何や、日本の中世寺院とそっくりやんか」と思ったのは私だけではないでしょう。お稚児さん愛、遍歴する僧侶たち、写本室に迷宮のような図書館・・・舞台は1347年の北イタリア。ペストがはやった年でもあります。この年、わが愛するテクスト『渓嵐拾葉集』はほぼ完成していました。ますます親近感がわきます。
・・・このような体験があるので、いつかは中世ヨーロッパと日本中世との比較をしてみたいと思っていたわけです。そこへきて、ここ十数年ヨーロッパを旅行するようになり、なんということのない教会にさりげなーく聖遺物が置いてあることを思い出したのでした。
聖遺物とはキリストやマリアを代表とし、そのほかの聖人の残したものを言います。キリストの聖遺骸布は有名ですね。マリア様のお乳とか、衣の切れ端などというのもありますが、なんと言っても多いのは聖人の遺骨です。イタリアでお骨の「陳列」を目にしていた私は、聖人の場合はどうなのだろうと思い、それを確かめるため今回フランスに行くことにしたのです。なぜフランスかというと、フランスには数回行っており少しは慣れているということがあるのですが、パリに留学していた友人の言っていた言葉が頭に残っていたからです。
彼女がパリに住んでいたときのこと。ある日、郊外の小さな街にふらふら遊びに行くと(街の名前は忘れたんだそうです)、日曜日だったので教会の前に人々が群がっていました。彼女は単なる礼拝だろうと考え、自分もその行列に並びました。すると、行列の先には台のようなものがあり、そこには彼女いわく「腐ったような骸骨」が無造作においてあって、人々はそれにキスしてから教会へ入ってゆくのです。彼女はさりげなーく列を離れたそうですが、これを聞いた私は、当時まったく聖遺物などに関心がなかったものの、なぜか気になる出来事として頭の中にしまい込んだのでした。
今回、その街がどこかはわかりませんでしたが、とにかくフランスに行けば聖遺物(私の場合「お骨」限定)があちこちにあるように思えて、幸いエールフランスのマイレージが溜まっていたこともあり、一年半ぶりに海外見学とあいなったわけなのです。
これから数回にわたってフランス滞在記を書いてゆきますが、なにしろ一週間しかいられないので(しかも、関西空港からの直行便は夕方にしか着かないので、実働時間は三日しかありません)、ちゃんとした学術的な調査などはとても無理ですが、まずは自分の目でじかに見ることが大切だったのだと自分を納得させています。滞在記ですから、学術的なこと以外にも、いろいろ書くことになると思いますが、どうかよろしく。

さて。これからは「である」文体にします。

十三日。
関西国際空港お昼発のエールフランス・JAL共同運航便に搭乗。今回はアップグレードしてビジネスクラスなので楽なのはいいが、ビジネスに乗る人々の列の中で、私一人服装が浮いている。安物のダウンジャケットとジーンズはあまりにみすぼらしいが、しかし、今回はひたすら歩くのが主眼で、田舎へも行くのでこれでいいのである。ちなみに、ヨーロッパの大きな都市にのみ滞在する優雅な旅行の場合は、なるべくちゃんとした服装をお勧めする。女性ならワンピースかスーツをぜひ持ってゆくべきだと思う。でないと三つ星クラスのレストランでは浮くから。
飛行機の中ではひたすらシャンパンとワインを摂取し、化粧を落として早々と就寝。目覚めは非常に元気だった。私は時差ぼけがほとんどないのである(なぜか日本で日常生活をしているときのほうがぼけている)。
ここ数年、海外に行ってもあまり違和感を覚えることがなくなった。いつも一人旅なので、身辺には気を付けているのだが、昔のように「異国だ」という感じがしない。言葉が充分しゃべれるわけでもないのだが、すぐに街にとけ込めるようになった。ホテル着後、高等研究院で講義をしているI氏と夕食。パリでは雇用問題で学生たちがデモをしているらしく、ソルボンヌ大学が閉鎖されているので氏はギメ美術館で講義をしている由。その日は何もする時間なく就寝。

十四日。今日はパリの北にあるサン・ドニ寺院と市内のサン・エティエンヌ寺院で聖遺物を見る。いずれも「あるらしい」という噂が頼り。サン・ドニ寺院周辺は夜は危ないとのことなので、午前中に行く。地下鉄駅からすぐのところに、片方の塔が欠けた格好の寺院がすぐに見つかる。この寺院の名前の由来となったサン・ドニ(聖ディオニシウス)はパリの守護聖人で、殉教したとき斬られた首を持って10キロほど北に歩き、倒れた。そこにこの寺院が建立されたということになっている。このサン・ドニは首を斬られたことからその頭蓋骨が聖遺物として崇められたといい、十二世紀ころまでは寺院に実在したと伝えられている(本物とは思えないが。しかし、聖遺物は必ずしも本物である必要はない。能作宝珠という手作りの宝珠が本物として扱われるのと同じである)。寺院の中に入るがそれらしいものがないので、よく見てみると「ネクロポール」というフランス国王たちの墓所は別料金で入れるらしい。どうやらそこだと見当をつけて行くと、寺院正面の段(ちゃんとした用語がわからないが、仏教寺院でいうとご本尊がいるところ)に金属とガラスで出来た明らかに聖遺物箱と思われるものが三つ、おいてある。パンフレットによると、十二世紀にはここにサン・ドニのどくろ様があらしゃったそうな。
聖遺物箱には、遺骨らしきものが入っているのがみえるが、どこの骨かはまったくわからない。説明書には「フィリップ五世の娘・マルガレーテ・ド・フランドル 1382」とあり、左のがそうらしい。あとは単に「Reliquaire」(聖遺物)とあり、真ん中は1819年、右は14世紀の聖人の遺骨という。
京都造形芸術大学の水野千依さんのご教示によると、こうした聖遺骨がガラス箱に入れられて飾られるのはゴシック期の末期になってからのことだという。ロマネスク期にも聖遺物箱はあったが、ガラスのような透過性のある箱に入ったものを「見る」「拝む」よりは、それに「触れる」ことにより救済を得るものだったらしい。しかし、ゴシック期末期でも、聖遺物に接する人々はその社会的階層によってもイメージが異なるし、文字の習得状況によっても変わるのだということである。このへんは、私にはまだよくわかっていない部分であるが、日本中世においても貴族層と民衆では信仰の諸相は変わるのであるし、想像はなんとなくできる。しかし、「触れる」ことで救済を得る、というのは水野氏からご教示いただいてちょっとびっくりした点であった(この部分については、水野氏からのご教示により一部訂正を加えた。水野さん、ご迷惑をおかけしてすみません)。
ロマネスクとゴシックの思想的な違いがあまりよくわかっていないので、帰国後勉強することにして、後はルイ17世の心臓(これもガラス器に入っていた)をちょっと見て、心臓を大切にするのはエジプトともいっしょだと思った。日本ではどうだろう? 五臓のぬいぐるみを仏像の中に込める(嵯峨の清涼寺釈迦如来のように)のはあるが、心臓だけ取り出して安置するような事例は聞いたことがない。
ところで、お骨というのはいったいどのくらい「長持ち」するのだろうか? ここにある十四世紀といわれるお骨は、朽ちることがなかったのか? 平凡社編集部の松井純氏があるお坊さんに聞いた話によると、お骨は五十年もたてば溶けて水になってしまうそうなのだ。私が愛猫の遺骨をお墓に入れたときも、お坊さんが「すぐに土にかえりますからね」と言っていた。
なのに、西欧では数百年前のお骨がちゃんと残っているのである。これは気候の違いなのか、あるいはもっと別の要因があるのか。これは、いつか骨の専門家に聞きに行かねばならない。

サン・ドニでお昼になったので、スーパーマーケットでサンドイッチと飲み物を調達し、地下鉄でサン・エチエンヌ寺院へ向かう。すると、寺院の前に張り紙がしてあり、14時30分まで閉めるとのこと。しかたないので寺院前の階段でサンドイッチを食べ、鳩にパンくずをやったりして待つ。お天気がすこぶるよい。青空が京都とはまったく違う色をしている。
この寺院はあまりガイドブックには載っていないが(地球の歩き方には一応小さく載っていた)、パイプオルガンで有名らしい。時間が来たので数人の観光客とともに入ると、あった。右手のすみのほうに、三センチほどの聖遺骨がガラスの管のようなものに入れられて、ぽつんとある。見ると、サン・ジュヌビエーブの聖遺物と書かれた説明板があった。この聖人は420年生まれで70歳まで生きた女性である。私の貧弱なフランス語読解力によると、彼女の遺骨は初めここではなく別のところにあったのだが、(どうやら盗掘されたのか)一部はノートル・ダム寺院へ、ほかはここへ運ばれた、というのである。
この聖人についてはどんな人物だったのかよく知らない。帰って調べようっと。それにしても、聖遺物を見学に来ているのに、昔のフランス語やラテン語が読めないというのはまったく手も足も出ない状態である。聖遺物の多くはオリエント世界から十字軍によってもたらされたものであるが、フランス国内でも何度も移動しているし、その都度「移葬記」(日本でいう寺社縁起に相当する)が作られているのだが、それがまったく日本語に翻訳されていないのだ現状だ(そりゃそうだな。「長谷寺縁起」のフランス語訳なんてないからね)。ヨーロッパでは古文書の大半は文書館に保管されているので比較的見るのはたやすいと阿部謹也氏の本で読んだことがあるが、フランスの宗教がらみの文書も文書館にあるのだろうか? しかし、とにかく言語力のない私には何も出来ないのが歯がゆい。

教会は夕方に閉まるので、その後は夕食の調達に行く。今回宿泊しているのはまさにデモが起こっているカルチェ・ラタンなのであるが、このへんにはいっぱい食べ物やさんがあり、不自由がないのである。お総菜で有名な「ジェラール・ミュロ」に行き、鴨のグリルとパンを買う。そういえばパリでは鳥インフルエンザが蔓延しているというが、鴨、大丈夫だろうか・・・。あまり深く考えないで、次に市場でワインを一本仕入れる。パリでは英語が通じない、という「神話」を信じている人はまだ多いが、杞憂である。英語と少しのフランス語の単語で充分通じる(しかし、田舎ではそうはいかなかった。このことは後に書こう)。
その夜は、日本から持ってきた文庫本の二冊目を読んでしまい、ちょっと後悔する。パリにもあの「ブック・オフ」があるらしいが、あんまり行きたくない。
明日はブルゴーニュ地方の中世都市・ヴェズレーへ行くため早起きだ。

この続きはまた後日。
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DATE: 2006/04/02(日)   CATEGORY: 未分類
新しい書店にて
長い間更新していませんでした。フランスから帰ってから、旅行記を書こうと思っていたのですが、いろいろなことを考えていて筆が鈍ってしまっていました。
というのは、私は、ブログに日常の雑記みたいなことを書くのを避けていたからです。今は、ネット世界にブログや掲示板は数限りなくありますが、その大半は「ふつう」の人が「今日はなにをした」というようなことをたらたらと書きつづっているのです。それをまったく否定するつもりはありませんが、いくらただで、誰でも自由に「自己表現」(嫌な言葉だ)できるからといって、ネットも「社会」なのですから、そこに何か書く、ということには絶えず責任がつきまとうと思います。匿名であっても、ハンドルネームという別の名前によって書き手の「テクストとしての人格」は規定され、ネット社会に認知されるはずです。そこに、「今日は何を食べて、どこへ行って、あれがおいしかった」というような、個人情報、あるいは、まったく情報として価値がないことを書いてもいいのか、まだ私には疑問があります(まあ、「ふつう」の人の「ふつうの生活」をのぞき見ることに快感をおぼえるようなタイプの人もあるでしょうが)。
ですから、ある程度、書きたいテーマがないと書かないようにしていたわけです。

フランス旅行記は次回にして、今日は、二月末に新しくオープンした、ジュンク堂河原町店(京都、BALビル5から7階)へ、遅まきながら行ってきた感想を書こうと思います。
研究者ばかりでなく、読書家、学生などにとって新しい書店の開店は喜ばしいものです。書店にない本はネットのアマゾンなどで購入できますから、とくに書店に出向く必然性はないのがこんにちの状況なのですが、新規オープン書店には実はねらい目があります。
古書店にもないような本が、たまーに見つかるのです。書店は、開店時のいわばご祝儀に稀覯書や残部僅少本を入手して書店を「飾る」のですね。専門書に、けっこうそんなものが見つかります。だから、新規開店書店には早めに行ってみる必要があるのです(そうした「客寄せ本」、あるいは「うちはこんなに品揃え豊富ですねん本」は、売れると決して補充されませんから、早い者勝ちです)。
ジュンク堂書店河原町店は、閉鎖された京都宝塚劇場下のブックファーストを補うようなかたちで、二月二四日にオープンしました。しかし、BALというビルは、私が小学校時代からあるファッションビルで、いろいろ変遷はしましたが、今でも一階、二階にはファッションブランドのお店が入っています。ジュンク堂が出来てから、明らかにファッションビルにふさわしくない客層がファッショナブルなお店の周りをうろうろするようになりました。
書店は5階から7階までを占めています。先日、仏教大学の斎藤英喜さんから、「民俗宗教の棚まである」といわれていさんででかけたのですが、行ってみると、確かに民俗学のほかに民俗宗教の棚が二棹くらいあって、ほしい本がたくさん並んでいました。群書類従や続群、大正新修大蔵経もあります。しかし、誰がばらでこんな本買うんでしょうかねえ?仕事で必要な人はほとんどセットで持っているはずです。一般のお客さん相手にしては、ちょっと「はずした」品揃えのようです。
ゆっくり見てゆくと、宗教の棚で『俊乗坊重源の研究』の新品を発見、もちろん買う。今、即身仏に凝っているので、『日本のミイラ信仰』が安かったので、買う。おお、東洋文庫もかなりある。2冊買う。手が重くなってきたので、まずはこのへんでレジへ。
支払いをしている間に、「国文学は何階ですか?」と聞くと、店員さんが首をかしげるので、「日本文学ですが」と言い換えると、「純文学ですか?」と言われます。「純文学」などという言葉を知っているだけでも偉いなあ、とも思いますが、私が探しているのは研究書なのでその旨を言ったところ、やはりわかってもらえません。すったもんだの末、五階に文学関係があると判明しました。
五階には、例のごとく『ダヴィンチ・コード』文庫本が山積みになっております。そこで棚を探してゆくと・・・「古典」という棚が、申し訳のように三棹くらい並んでいました。しかし、ほとんどが新日本古典文学全集などの全集ものです。期待しないほうがいいな、と思いつつ「中世文学」の棚に移動すると、嗚呼、棚二段分しかありません。それも、義経ブームに乗っかったような『平家物語』の一般書と『徒然草』関係のものばかり。仏教文学関係などは鼻くそほども見あたりません。
ほかにも文学の棚を見回したところ、若いお客が呼べるはずの文学理論関係も非常に乏しく、これはだめだ、と感じつつ文庫本の棚へ。
娯楽用の推理小説を少し買い足して、レジへ向かいました。文学書への冷淡さにむかついたので、20日から始まる「大絵巻展」(京都国立博物館)の割引券を二〇枚くらいつかみます(学生に配るため)。
後は、医学の棚で骨の文献などを探しました。医学生向けでしょうか、『骨単』という、各部の骨の名称を覚えるための図解書があり、いたく心を惹かれましたが(あれは往年の「シケ単」(試験にでる英単語)のもじりですね)、あまり道楽にお金は使えないので立ち読みしておしまい。『骨の事典』(朝倉書店)にも惹かれましたが、医学書は高いですね・・・。
ビルの外に出たら、変わり果てた河原町の喧噪が渦巻いていました。

本屋さんの個性は重要で、それを把握したうえで有効利用したらいいのですが、ジュンク堂河原町店には、文学関係者は期待しないほうがいいですね。なくなった京都書院が懐かしく思われます。
京都の書店について付言すれば、ファンタジーやSF、推理小説系がお好きな方にはブックストア談をお勧めしておきます。ここは、店員さん手作りのポップが有名で、なかなかよい品揃えです。売ろう、という気概もあるように思います。
うちから三分の大垣書店三条店もなかなかがんばっていますが、奥泉光氏の『モーダルな事象』のポップに、「こんなに厚くて1950円」とあるのには笑えました。イマドキ、推理小説は分厚いほどお得なんですね。
大学生になったら、自分の好きな本屋さんを見つけておくことは必須です。東京のようにいっぱい書店や古本屋さんがあるわけではない関西の事情もありますし。書棚を見て回ることで、「こんな本もあるんだ」という発見をすることも多いです。
本を読まない人にとってみれば、あほなことなのかもしれませんが・・・。

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