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DATE: 2007/01/31(水)   CATEGORY: 未分類
「お骨」見学してきました
入試シーズンにより、明日からはしばらく更新どころではなくなりますので、今年度最後の書き込みになりそうです。

今回は、自分のメモを兼ねて「お骨と死体」の見学に行った話ですが、その前に・・・

小谷野さん、お読みですよね?

『一冊の本』2月号の小谷野さんの連載「美人好きは罪悪か? 2」を読んでいたら、小谷野さんの女性の好みが書かれているのに目がとまりました。いはく、

「一般的には卵形の顔に和風の目鼻だちが好きだが」
「小柄好みの私の・・・」

ということです。
よかった、私と全く反対のタイプで(^^)
でも、これって佐伯順子さんそのものではないかと思えてしまうのですが、どうなんでしょう。小谷野さんがしきりに佐伯さんを批判したりうらやましがったりするのはすでに「藝」になっているみたいですが、これは、「好きな女の子に好きと言えなくて、ついつい意地悪なことを言ってしまう男の子」と似てません?
それから、小柄で和風顔なら、上野千鶴子さんも充分その範疇に入りますね。十年ほど前、上野さんとバスに隣り合わせになっておしゃべりしたとき、あまりに華奢だったので「かわいい、かも」(今ふうに言うと「萌え」でしょうか)と思ってしまったことがあります。

さて、昨日、某大学医学部解剖学研究室に骨と死体の見学に行って参りました。今年はこのテーマで書くので、ぜひ実物を見ておきたいと思っていたところ、あるHPからこの大学のX先生(事が事だけにご迷惑がかかるといけないので、すべて匿名にしています)と連絡を取り合っているうち、今回の見学が叶ったのでした。
X先生は骨がとてもお好きだそうで、メールをやりとりしているうちに、何か感じるものがあったので、とても楽しみにしていたのです。

いろいろなものを拝見させていただいたのですが、むやみな公言がはばかられるものもありましたので、もっとも興味を持っている骨のことだけを書くことにします。

まず、私が関心を持っているものについて簡単にパワーポイントをお見せしながら説明させていただき、なぜ実物を拝見したいのかをお話しました。PPで「九相図」を写していると、教室のZ教授もやってきて、「膨張相」を一目見るなり「こりゃあ、くさいだろうねえ」とおっしゃるのです。死体の悪臭はかなりのものであるとのことですが、いかんせん、文系研究者が腐った死体に遭遇することなどめったにありません。しかし、X先生もZ教授も、死体=くさい、というイメージがまずわくのだそうです。なかでも水死体がいちばんひどい、などと、院生たちがお弁当食べてるなかで話がはずみます。
「九相図」には不可解なことがあるのです。
この図が解剖学的に正しい描写であることはすでに証明されているのですが、九つの腐敗してゆく場面のうち、ほとんどミイラ化した死体の次に、妙に色つやのよい死体を犬とカラスがむさぼっている図が出てくるんですが、これって順番がおかしくないですか?

これについてX先生にお尋ねしました。
「なぜこんな順番にしたかはわかりませんが、死体が放置されればまず犬やカラスの襲来は免れないでしょう。しかも、犬は力任せに肉を引きちぎりますので、手先や足先は骨ごと取ってゆかれてしまいますよ。だから、この次の「骨連相」みたいなきれいな全身骨格には絶対なりません」
「では、「骨連相」のようにきれいにそろった骸骨にしようとすればどうするのですか」
「犬などがいないとでころに放置するとなりますね」
うーん、「九相図」はどうして犬に食われる「噉食相」があんなにあとに来るのでしょうか。これは、「六道絵」の「人道不浄図」もまったく同じ配列になっています。
死体の様子はリアル、しかし腐る順番はフィクション、ということなのでしょうか。とすれば、なぜフィクションにしたのかを考える必要があります。この図のもとになったとされている「九想詩」の順番にそった、というのなら、「九想詩」はなぜこうしたかという点が謎です。

その後、実物の頭蓋骨(医学用語では頭骨)をいろいろ見せて頂きます。いくら精巧なものでも、レプリカの骸骨は実習には使えないとのこと。細部がまったく違うのだそうです。
持ってきて頂いたのは、インドから医療用に輸入された若い男性の頭骨です。今では人権問題があるのでなかなか入手できないそうですが、こうした人骨はほとんどインドかららしい。
もっとも驚いたことは、頭骨が非常に白くてつやつやしていることでした。とくに漂白したものではないそうです。下顎部ははずれていますが、ほかはきれいに残っています。
「きれいなものですね」と言うと、X先生は嬉しそうに、
「そうでしょう。骨って、美しいんですよ。動物の骨もきれいです」
「意外と重いようですが」
「骨は、保存状態によってかなり違いますね。土中にある場合、酸性土であればかなりぼろぼろになりますし、カルシウム分が多い土なら丈夫なままですよ。海辺もいいですね。大森の貝塚があれだけ残ったのも、海岸だからです」
「なるほど。では、火葬骨はどうですか」
「火葬でも、低温でじっくり焼くと、焼きしまってかなり丈夫です。でも、今みたいに高温で焼いちゃうともろくなりますね」
「どのくらい古い骨が残っているんですか」
「そりゃあ、縄文時代の人骨もありますし、私が今発掘しているのは弥生時代の集落ですが、ちゃんとした人骨が出土します。それに、頭骨ってそのままの形で出やすいものなんですよ」

実は、X先生は動物の骨がご専門だということで、そうした骨も拝見。標本室には、タッパーウエアに入れられた小動物のお骨がラベルを貼られてずらりと並んでいます。
キツネ、タヌキ、などはさすがイヌ科。非常に似ています。ハブの骨格標本なんかは初めて見ましたが、背骨がビーズみたいに糸に通してあってきれい。思わず「ネックレスに、ほしいですね」などと言ってしまった。小猿の頭骨は人間のそれそっくりですが、眼窩が顔に比してとっても大きいのでかわいい感じ。
「目や脳は、すごく早くに作られるんですが、骨はそれらが出来てからまわりを囲むように作られてゆくんです。ですから、(と、先生は人間の頭骨の前頭葉の部分を指さして)ここに脳のシワの跡が見えますね?
これは、先に脳が出来たしるしです」
「ふーん。では、目は?」
「目も非常に早く発生するうえ、子どものころから大人になるまでほとんど大きさが変わらないんです」
「子どもの目って大きくてかわいく見えますもんね」
「そうそう。目はずっと同じ大きさ。だから、小猿の頭骨の眼窩もこんなに大きいんですよ」

次は、ネコの骨を拝見。X先生も動物好きで、お家にネコがいたことがあるといいます。
ネコの頭骨って、後頭部が丸くてかわいく、そそられます。しかし、生きているときは見えないキバがとても長くてびっくりしました。このキバで引きちぎって、奥歯でかむということです。
こうした標本は、人間のものも含め、或程度解剖して肉をのぞいたうえでタンパク質分解酵素の液につけて作ります。「煮るのかと思っていました」と私が時代遅れなことを言うと、「昔は煮ていました」とのこと。

そして、弥生遺跡から発掘された頭骨も持たせて頂きました。これはインドの頭骨とはまったく異なり、ざらざらした表面が土の色に染まっています。下顎が脱落しているうえ、基底部(というのか、いわゆる底の部分)が抜けています。持つと非常に軽い。また、顔の全面に朱色が散っています。
「いわゆる風葬みたいにするとこうなっちゃうんですよ。かなり風化しているでしょう? その朱色は顔料で、魔よけですね」

このとき、とても気になることを発見しました。
頭骨の眼窩の部分はかなり深いのですが、その奥には視神経の束が通るくらいのとても細い穴があいているだけです。そして、このあたりは強度があるので、ほとんど壊れないというのです。
私が思い出した説話、わかりましたか?
そう、例の「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」ですね。
『袋草子』などを始めとする有名な「小町髑髏伝説」です。奥州の野原で「あなめあなめ」という声を聞いた男(業平、とされている場合もあり)が声の主を捜すと、頭骨の目からすすきが一本生えていたのを見つけます。男がすすきを抜いてやると、・・・(このあと、いろいろバリエーションがあります。落語の「のざらし」みたいな話も)。
「あなめあなめ」の正確な意味はわかっていませんが、「あな、目痛し」ではないかというのが共通見解です。

で、本物の頭骨をじっと観察すると、物理的にみて、どうしても眼窩奥の細い穴からすすきが生えるとは思えないのです。もちろん、頭骨が相当傷んでいて、目の底部が抜けてしまっていたということも想像できるのですが、先生にうかがうと、「それほどのダメージを受けていたら、頭骨じたいがばらばらになってしまっているはず」なのだそうです。
細い視神経の束が抜ける穴をかいくぐってくる器用なすすきがあったんでしょうか? うーん、謎。

ほかには、頭の横をまっぷたつに切られた頭骨もありました。実習用で、内部がよく観察できるように切ってある由(骨はしばらく水に浸しておけばかなり切れやすくなるそうです)。上の方を持ってみると、まさに「髑髏杯」そのものだったので、「浅井長政の髑髏杯、できますね」と言うと、先生が「ああ、髑髏杯にするんだったら漆かなにか塗らないともれてしまいますよ。頭骨には縫合部があって、絶対水分がもれるものですし、頭のてっぺんに動脈が通る穴もあいていますから。意外と頭骨って穴だらけなんですよ」「ふーん(なおも未練がましく手放さない私)」

最後にこんなこともうかがってみました。
「もしかして、今までに金箔を貼ったあとのある頭骨は出ませんでしたか」(当然、髑髏法本尊のことです)
「それは・・・見たことないですね。着色したものはありますが。骨ってすぐに色がつけられるんですよ」
「じゃあ、五色の仏舎利は作り物かもしれませんが、もしかしたら動物の骨を削って染めた可能性がありますよね」
「あるかもしれませんね」

このほか、非常にたくさんのことを教えていただき、また、先生にも私の知っている文献資料などをお話し、楽しい数時間がすぎていったのでした。

私がずっと疑問に感じていることの一つに、「なぜ骸骨は怖いのか」というものがあります。西欧でも日本でも、たぶん東アジアでも骸骨はケガレや死を象徴するものとなっているわけですが、これに恐怖感か気味悪さを感じるのは「本能」あるいは「生理的反応」なのか、それとも「文化」なのか、いくら考えても答えが出ないのです。
で、これもX先生に聞いてみましたら、先生が「生理的なものだと思います」と答えました。
「研究室や解剖室なんかにあるのなら何にも感じませんが、もし道ばたや自宅に骨が落ちていたらきっと気味悪いと思うでしょう」
この問題は、あくまで先生の個人的意見であり、各人の生育環境とも関わると思うのですが、やはりわからないままでした。

ほんとうをいえば、私は小さいころ、骸骨がとても怖かったのです。
なぜかというと、うちが診療所であったことは前にも書きましたが、子どもが悪さをしたときよく「××に入れるよ」(蔵、とか、押入、物置、など)といって脅すことがかつてはあり、当時の子どもたちにとってはすこぶるつきの恐怖だったのです。これ、うちの家では「レントゲン室に入れるよ」という脅し文句だったのですが、レントゲン室(レントゲンフィルムを現像する小部屋で、まっくらです)には骸骨の写真(レントゲンフィルムを乾かすためにつるしてあるわけ)がある、という思いこみがあり、私には非常に怖かったのです。
これって、骸骨が怖いのか、それともレントゲン室の怖さが骸骨への怖さに転化したのか、今でもわかりません。
その後、なぜか骨が大丈夫になり、それ以上に「好き」になってしまったので、レントゲン室がなぜあれほど怖かったのかよく思い出せません。
この点について、もしROMのみなさんの体験がありましたら、コメントにぜひ書き込んでくださいませ。

実物の骨を見たからといって研究がどれほど進むかはわかりませんが、今回は非常に貴重な体験でした。しらんことは専門家にきく、というのは、まさにあつかましい関西人そのものですねえ・・・。
それにしても、理系の研究者にも私のやっているような研究をおもしろく思ってくださる方があるというのは嬉しいものでした。これを機会に、どんどんいろいろな分野の方のところにおたずねにゆこうと思っています。
X先生、どうもありがとうございました!

では、みなさん、しばらく更新お休みです。

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DATE: 2007/01/26(金)   CATEGORY: 未分類
「虎図」続報
来週あたり、本の再校と校閲が戻ってくるとのことです。今は試験の採点や卒論読み、そして自分の勉強のみ。やや「優雅」な日々です。

さて、先日、京都国立博物館の特別展示「京都御所の障壁画」展と常設展の特別展「神像」「神仙図」などを見に行って来ました。特別展は、百五十年ほど前に新しくされた京都御所の御学問所や御常御殿の障壁画(今で言うふすま絵です)が初めて展示されるというものですが、私の本当のねらいは常設展です。
常設展というのは奈良博でも東博でも数百円で入場でき、いつもかなり空いていますが、これがあなどれないのです。美術史の研究者はだいたい定期的にのぞいているみたいですね。あっと驚くような国宝、重文クラスのものや、初展示ものがさりげなくあるので、これが穴場というわけです。今ではよく知られている「宝誌和尚像」(顔がわれているお像です。『表象の帝国』の文庫版表紙にも使われています)も、以前ずっと京博の常設展示に「ぼそっ」という感じて置いてありました。「一遍聖絵」がかなり長く展観されていたこともあります。

あまり期待せずに行った障壁画でしたが、一つ発見がありました。
それは、以前このブログで書いた円山応挙筆の「虎図」を手本としたと思われる土佐光文の「虎図」があったことです。
虎三匹が、竹林の中を流れる川の水を飲んでいる図ですが、やはり応挙のものよりは数段劣るとしかいいようがありません。虎二匹の姿はほぼ応挙の図を模していますが、やはり光彩は「縦」型です。しかし、目つきがまるで出来損ないの獅子舞のお獅子みたいでした。

しかし・・・やはり虎の光彩が「縦」というのは気になります。

そして次は常設展の「神仙図」へ足を運ぶと、ここには中国絵画を模したと思われる虎の図がありました。虎といっしょに三人の仙人が眠る姿を描いた絵は「四睡図」というテーマとして有名です。
ところが、この虎の光彩は「丸」なのです。これは、おそらく、日本の絵師が中国の虎の絵をお手本にしたせいではないかと思います。

かなり長い間そこで過ごし、いろいろ考え事をしながら帰宅しました。
翌日、同僚でイギリス史専門のI先生が動物園の講演の話を受けたというので、虎のことを話してみると、「動物園の人に、虎が水を飲んでいる写真を探してもらう」と約束してくれました。
本日、その回答が来たのですが、なんと、一時間待っても水を飲まないはずです、虎って、ほとんど水を飲まない動物なのだそうです(多摩動物園の担当者さんの談による)。よくわからないのですが、虎は腎臓が特別な構造になっており、尿を濾過して再利用できる体なので、猫みたいに水をたびたび飲む必要がないとのこと。

わからんことは、聞いてみるものですね。
ということは、日本における「水を飲む虎」は完全なフィクションである可能性が高くなり、そのモデルが「水を飲む猫の姿」である可能性も同時に高くなるというわけです。
「竹に虎」というのは「捨身飼虎図」のころからのおきまり、取り合わせですが、そこに「水を飲む」というイメージを持ち込んだのは、私が見た限りでは応挙が初めてではないかと推測します(それ以前にもあるのかも知れません。もしご存じの方がありましたらコメントにてご教示ください)。
もしかしたら、猫が水を飲む姿を見ていた応挙は「虎だって水を飲むだろう」と考え、「虎図」を描いた・・・かも知れません。

この問題はさらに追求することにしたいと思います。

なお、常設展の「神像」展も見応えがありました。
神さんばっかりの像ではありませんよ。初公開の仏像もありました。
会場に入って「え? どうしてここに西大寺の文殊さんが?」と思ったのですが、非常に立派な西大寺の獅子に乗る文殊像そっくりの文殊さんがあったのです。
見ればみるほど似ているそのお像は、岡崎の金戒光明寺のお像で、昨年やっと補修なったばかりである由。文殊の頭の中をレントゲンで撮ってみると、明らかに舎利が入れられた水晶塔らしきものがあったそうですが、結局開けてはいないらしい。
よくわからないらしいですが、この文殊は西大寺の律僧・叡尊に関わるものということでした。なぜ律宗と京・岡崎が関係するのかもわかっていないらしい。

これは調べてみる価値がありますねえ。時代はちょっと違うけど、岡崎といえば律宗の中心寺院の一つである善法寺も近いわけだし。

そのほかのお像も、「よくわからない」という説明が多かったので、これは研究者にとって非常に刺激になる展示であると感じました。なかでも仏像なのか、神が仏の姿を借りている神像(神仏習合の像、というべきでしょうか)なのかわからないものもあり、これはまことにお徳な展示でした。
しかし、ほとんど人が入っていません。空いているのはとてもらくちん。
ただ、常設展の場合、図録がないんですね。だから、写真で改めて確認することが出来ないのが辛いところです。

「神仙図」の部屋には最近気になっている長谷川等伯のものもあり、非常に勉強になりました。
常設展をあなどるべからず、です。

なお、最近仏像関係で気になっているのは、かつて論文にも書いた東寺の夜叉神二体のことです。これ、今では夜叉堂というところに入っており、『東宝記』にも夜叉神のことが出てくるので、これがそうだというふうに伝えられているのですが・・・どうも私はこのごろ、これが本来は夜叉神でなかったかも知れないと考えるようになってきたのです。
夜叉神は二体あり、片方を「雌」片方を「雄」としているのですが、どちらもかなり怖い顔をしていますし、両腕を始めかなりの部分が破損しているので、正確な姿がわかりませんから、夜叉神と決定する根拠は考えてみると全くないのです。

で、私の推測は、これが不動明王の脇侍であるコンガラ・セイタカ童子像ではないか、というものです。もちろん、本尊の不動明王が並んでいるわけでもなく、今は失われてしまった可能性が高いのですが、どうも夜叉神の顔つきや姿勢を見ていると、二童子に見えて仕方ない。

これは単なる推測ともいえない「思いつき」なんですが、どなたか証明してくださらないでしょうか? 少なくとも、他に夜叉神像の用例がない(ない、と思いますが)限り、これを夜叉神と証明することは出来ないと思うのですが・・・。

今週日曜日は、金沢文庫の特別展示「鎌倉の学問」と、東博の新春恒例展示である等伯の「松林図」を見に行ってきます。金沢文庫の聖教は一括重文指定されたので、これからはあまり直接拝見出来なくなる恐れがあるかも知れません。
悲しいなあ・・・。どんどん見せていただける資料が少なくなってゆきます。

このように、どうやら、今年のテーマは「骨と死体の文学」をはじめ、美術とかなり深く関わるものになりそうです。勉強せねば。できれば敦煌の「九相図」を見に行くくらいしたいものです。

なお、ちょっと宣伝を。
来週校正が来る『検定絶対不合格教科書 古文編』(朝日選書)の発売日が決まりました。3月16日頃の予定です。新聞に広告が載るらしいので、よろしければごらんください。
もちろん、広告で気になった場合は本体をご購入くださってもいっこうにかまいません、いや、強くお勧めしておきます。
こうやって本を書くと「さぞもうかるでしょう」などといわれますが、「仕込み」に時間とお金がかかっていますので、ほとんどとんとん、悪くすれば赤字です。
いまだに、「大学教授は岩波新書一冊書けば、一生食って行ける」などという昔話を信じている人が世間にはいるんですね・・・。
漱石の時代と違うってば。
あ、漱石の時代に岩波新書はなかったんでしたね。
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DATE: 2007/01/17(水)   CATEGORY: 未分類
芥川賞、直木賞その他(小谷野さままゐる)
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/

小谷野さま。その1
私も直木賞の該当作なしに疑問です。北村薫さんはあまりにベテランなので落とされたか。いわゆる時間三部作(『スキップ』『ターン』『リセット』)でじゅうぶん受賞出来たと思いますが。ただし、北村さんは登場人物が善人すぎるものが多いという弱点(というか、私はそこがやや好きではない)があるように思います。すっごく優等生的なんだよね。候補作の『ひとがた流し』は、私などと同世代の女性たちを描いている作品なので連載中に読んでいましたが、「こんな善人いないよう」と叫びたくなる場面がしばしばでした。あえて女の汚いところを書かない方なんでしょうか。ミステリの方は文句なしに評価するんですがねえ。北村さんのミステリは、人殺しが出てこないものほどいいと思います。「円紫さんと私」のシリーズはもう読めないんでしょうか、残念。

星野智幸さんの小説は、「ふつう」の人にはわからないでしょう(私もよくわかりません。豊崎由美はえらく評価してるが)。中原昌也さんも、高樹のぶ子が三島賞だったかな、選考委員を辞めるとか辞めないとかいってごねていましたね。

時期を逃すと取れないのが芥川・直木賞です。山田詠美と車谷長吉が直木賞というのも変といえば変。
(長吉っつあん、姫路ではものすごい有名人になっています。この人のように、芥川賞を落選したとき、選考委員のわら人形を作って五寸釘打った、とかいう嘘かもしれないエピソードは、私もやりかねないので大好き。ちなみに私は先日、姫路出身の某有名人の名前を冠した賞の候補になって落ちたらしい。あれだけ悪口書いた人たちが選考委員に入っているにもかかわらず、候補にしてくれたのはむしろ偉いかも知れませんね)

それにしても石原慎太郎、「大江戸線」などといういいかげんな地下鉄の名前付けるようなセンスで選考委員なんかしちゃいけませんよ。

小谷野さんへ、その2
怪獣映画がお好きなようですが、同世代の私もかなり観ていますよ。
どの映画か忘れましたが、ゴジラが清水寺の舞台にやってくるシーンがあったんです。そのとき、座席の京都市民たちの間からいっせいに「ああー」というため息がもれたのを、小さかった私は聞いています。たぶん、ショックだったんだと思いますね。しかし、ゴジラはなぜか清水寺をつぶさずに帰ってゆくのでした。
これって、「京都に原爆が落とされなかったのは、アメリカ人が京都の文化財を尊んだためである」という伝承と同じ効果があったんではないか、と今でも思っています。
もちろん、この伝承は嘘であることが、吉田守男さんの『京都に原爆を投下せよ』(角川書店)にて証明されていますが、今でもこんなことを言っている人は多いです。

モスラはいちばん好きな映画なんですが、東京タワーに繭をかけたシーン、東京の人はどう思ったんでしょうか? 
最近、「プリティモスラ」という小さなモスラが出てくるリバイバル映画がありましたね。さすがに恥ずかしくて観ていませんが・・・。

小谷野さま、その3
高校生のとき、バートン版『千夜一夜物語』(岩波文庫、全26巻)を通読し、そのうえで、図書館にあるいちばん分厚い単行本である、辻邦生『背教者ユリアヌス』を読了するのが一部の生徒の間ではやりまして、残念ながら私は二番手に甘んじた記憶があります。それで、次は『大菩薩峠』に挑戦してやっと一番手をとりましたが、『徳川家康』は挫折しました。家康がなかなか産まれないんだもん。

最近ビュトールの『時間割』が文庫になったのでびっくりしました。これって、昔家にあった世界文学全集で読んだのですが、ずっと「変な推理小説」だと思っていたのです。隣りの巻がポーだったんで、てっきり推理小説だと思いこんでいました。
カルヴィーノなどはお読みになりますか? これもほとんど邦訳されましたし、文庫になりました。でも、単行本版の『見えない都市』の装丁がいいんだけどねえ。
村上春樹がチャンドラーの『ロング・グッドバイ』(昔は『長いお別れ』)を訳したらしいので、楽しみです。これはアルトマン監督の映画が非常に私の感覚に合っていて、フィリップ・マーロー役の俳優さん(エリオット・グールド、とかいった)がイメージにぴったりだった記憶があります。それ以前は、ロバート・ミッチャムなんかがマーローをやっていて、これじゃあ、片岡千恵蔵が金田一耕助やるような違和感がありますからね。金田一耕助役は、ATGが作った『本陣殺人事件』の、痩せていたころの中尾彬がいちばんいいと思います。

今日もおしゃべりしてしまいました。たいへん失礼。「本家」に比べるべくもありませんが、まあ、「ドッキリチャンネル」貴子版、というところで(あつかましいか、あまりに)。
ただのおしゃべりだから、読み飛ばしてくださいまし。

追伸。生涯勉強、をまたしても痛感
今、日露戦争のことについて初歩的な勉強をしているんですが、「義和団の乱」と言ってはいけないらしいことを知り、改めて自分の認識の甘さを痛感しました。このごろは「義和団運動」というらしいです。伊丹十三さんの「北京の55日」はいずこ? 「乱」ではない、ということでしょうか。このままだと、「承久の乱」も違った言い方になるのかも知れません。上皇が倒幕運動したんだから、安部内閣にとってはおもしろくないかも。「承久事件」への言い換えは近い? 
ほんとうに、勉強しなくちゃ・・・。
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DATE: 2007/01/16(火)   CATEGORY: 未分類
認識不足だった・・・
ただいま、つかの間の休息時間を楽しんでおります。睡眠時間もちゃんととっていますし、ずっと読みたかった本を読んだり、考え事をしたり、論文の構想を練ったり、次回の校正が来るまで、ほんとうにつかのまですが。

そこで、読んだ本のなかに、

嵐山光三郎『悪党芭蕉』

があります。ずっと読みたくて読めなかった本なのですが、どうやら泉鏡花賞を受賞された由。
正直言って、江戸の俳諧には非常に疎い私でしたが、「芭蕉は悪党だった」という帯に惹かれて購入しました。芥川龍之介がかつてそのようなことを言っていたことも初めて知りました。
芭蕉の弟子にはいわゆる「犯罪者」もおり、熾烈な権力闘争が渦巻いていたという、「俳聖」のイメージをぶっこわす内容です。
芭蕉、というと「忍者だった」とか「スパイだった」とかいう俗説がありますが、嵐山さんは資料を押さえて、かついろいろな実体験をも込めて記述していますから、説得力があります。研究者には書けない文章でしょうね。

そのなかで感心したことを一つだけ。
あの有名な「古池やかわづ飛び込む水の音」を「考証」する場面があります。誰でも知っているといってもよいこの句には、謎があるのです。
(ちなみに、ある本で、アメリカの留学生に「このカエルは何匹いますか」と尋ねた人の話が載っていました。学生は「少なくとも百匹はいるよねえ」と言った由。日米の感覚の相違、といった文脈で語られていた記憶がありますが、この句が、誰でもが思っているような自明の句ではないことがよくわかります)

この句は、深川の清澄公園(現)あたりで詠まれたとのことで、嵐山さんはそこへ出かけてゆきます。そして、カエルの図鑑を開いて関東地方に生息するカエルの種類を確認した後、池にカエルが飛び込む姿を観察しようとするのですが・・・。

カエルって、池には飛び込まないんですと。もそもそっと端から入ってゆくだけなんだって。何回見ても、絶対飛び込まないらしい。もちろん、音なんかしません。カエルが池に飛び込む場合があるとすれば、それは何かに追われて危機的状況にある場合だけだというのです。

では、芭蕉が「聞いた」音とは何だったのでしょうか?
嵐山さんは「幻聴か」と言っていますが、観念的な音であったことは間違いないでしょう。そして、芭蕉は景色を見ても過去の西行なんかが詠んでいる風景を通して「架空」のものを見ている、といった結論に至ります。これは、すでに芭蕉の研究者の間では周知のことだと思うのですが、研究者はなかなか深川でカエルを観察するまでしませんし、そんなことをしても文学の意味はわからない(経験で文学を語ってはいけない、ということ)と言うのだと思います。

これはしかし、私にとっては目から鱗であって、実地に行けばわかるとかいったことはないのですが、やってみることをバカにしてはいけないと思った次第です。

ということで、私もあることを確認しようと実地観察に行ってきました。行ったのは京都市動物園。目指すは虎の檻です。
なぜかというと、これは旧著『鈴の音が聞こえるーー猫の古典文学誌』にもちょっと書いたのですが、円山応挙が虎を描くとき、彼は猫をモデルにしたに違いない、とにらんでいるからなのです。最近、金比羅宮蔵の応挙の「虎図」(水のみの虎)の障壁画を写真で見たところ、水を飲んでいる虎(2匹、子どもと大人)の姿があまりにも猫的だったのです。これは猫を毎日見ていればわかるわけですが、それでは実証的ではないと思い、虎が実際に水を飲んでいるところを見に行ったわけ。

江戸時代の日本には虎はいなかったので、画家が虎を描くときには輸入された虎の毛皮をお手本にした、ということは有名です。しかし、毛皮は平面。これを動かすには実際虎に似た動物を観察したのではなかろうか、と思います。猫は虎の子孫などといわれるように同属で似ていることはいうまでもありません。
また、もっと確実な証拠があります。応挙の虎の目の光彩に注意すると、猫のように「縦」型なのですが、本当の虎の光彩は「丸」なのです。毛皮では目の光彩までわかりませんから、これは猫がモデルである可能性を高めるものではないでしょうか。

また、応挙の水をなめる虎の舌をよく見ると、舌が内側に巻いています。これは、猫が水を飲むときの舌の動きにそっくりなのです。猫が水を飲むとき、舌を上に向けてすくって飲む、と思っている人が多いのですが、実は内側にくるっと曲げて飲んでいます。
それに、虎図の左側にいる子どもの虎のおしりのあたりが、なんといってもうちの猫の後ろ姿そのままに見えます。ほっぺたが張っていて鼻が見えない横顔もいっしょ。虎ならかなり鼻が高いので少しくらいは見えるはずですが、まったく見えていません。
うちの猫はペルシャなので、鼻が低く、横顔は頬しか見えませんから、もしかしたら江戸時代に日本にペルシャ猫が渡来していたのか、などと空想すると楽しいです(ペルシャ猫は19世紀にイギリスで人為交配によって生まれた種類ですから、応挙の時代にはまだいません、念のため)。

で、ほぼ40年ぶりくらいに動物園に行ったのですが、虎、なかなか水を飲んでくれないんだよね。かなり待っていましたが、ついに水のみの場面は見られず。しかし、虎の歩き方などを観察すると、やはり猫とは異なっていてもっとゆったりしています。
どうしても、応挙が猫をスケッチしたと思いたい私なのですが、「それがわかってどうなるの?」といわれても、とくに学問に寄与するもんでもなし、単なる道楽ですが。

ただ、私はいろいろなものにはかなりの割合で「モデル」あるいは「出典」がある(とくに前近代の場合)と思っていますので、この説にはまだ魅力がありますね。

もう一つ、認識不足だと思った話を。
今日、朝日新聞の「青鉛筆」という囲み記事に「時代祭に室町行列が新たに登場する」というものがありました。
時代祭なんて新しい祭り(1895年に出来た)、あんまりバカらしくて実物を見たことはありません。ニュースでやっていたとき目にしたくらいなのですが、これがうっかりでした。
そういえば、室町時代の行列を見た記憶がありません。足利尊氏も義満も、いませんねえ。
記事によると、祭りが始まった当時、尊氏が天皇に刃向かった「逆賊」であるとして室町時代は無視されたとのことでした。
こういったことを、私は小学校から高校の歴史で習った記憶はありません。歴史学をちゃんと修めた人には周知のことでしょうが、そのほかの現代人にとって、室町時代といえば「義満の北山文化」「義政の東山文化」が麗々しく金閣、銀閣とともに描かれている教科書しか知らないはずです。
(ちなみに、鹿苑寺に行って「金閣寺」といったらお坊さんに嫌な顔されますよ。金閣は寺院のなかの舎利殿にすぎませんから。銀閣も同じ。こちらは慈照寺の観音堂です)
でも、こうしたことはきっと、戦前に教育を受けた人なら常識だったんでしょうね。室町時代の近代における評価に気が付かなかった私は、きっと南北朝時代に脚光があてられた(網野善彦さんが論壇にデビューした)頃に大学に入っているので、てっきり室町時代も評価が高かったと勘違いしてしまっていたのです。ほんとうにうかつ。
こんなことがあると、もっと、近代における過去の時代の評価について勉強すべきであると痛感します。その意味で、近代を無視して前近代を語ることは出来ないといえるでしょう。

ただ、そうすると、山田風太郎が『室町少年倶楽部』とかいった室町ものを書いているのは、あの時代の人にしては非常に先見の明があったということになるのかな。花田清輝の『室町物語集』の評価もさらに考える余地があります。

世代論ですべてを語るのは嫌ですが、私(60年生まれ)の世代の人間はそれ以前の人が「知っていて当たり前」のことを知らないでいる、ということが多いです。80年代生まれの学生が日本とアメリカが戦争したことを知らないといって笑うのは、いけないことかもしれませんね。
でも、調べればわかることではあります。先の芭蕉や虎図の場合は体験や経験も何かを考証するつてになる、ということを言いましたが、体験ばかりが能ではなく、体験を調べて追体験することは可能でしょう。「あんたがたは戦争の悲惨さを体験していないから何も言う資格はない」と私などよく言われましたが、それはたまたま彼らが体験してしまった不幸であって、体験しているからすべてがわかるというのはおかしいことです。

いろいろと学ぶべきことはありますなあ・・・。時代祭、今年は行ってみようかな。足利尊氏に扮するのは一体だれなのでしょう?

このブログ、2月になるとしばらく更新出来なくなりますことをお断りしておきます。
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DATE: 2007/01/14(日)   CATEGORY: 未分類
谷崎潤一郎旧邸「鎖瀾閣」の危機を憂う
神戸の大学にうつって約二年がたちましたが、なかなかなじめません。京都は「北陸のはし」ですが、神戸は完全な瀬戸内海文化圏なので、そもそも風土からして違います。京都は神戸より気温も2度くらい低いですね。神戸に行くと、あまりに空が青いので驚くことが多いです。

私の勤務する大学は「岡本」という住宅地(高級住宅地らしいのですが、平地ではさほど高級な家は見ません。たぶん高台にあるんでしょう。なお、マルチーズなどの小さい犬を散歩させている人が多く、学生がそんな犬を「岡本犬」と呼んでいます)にありますが、岡本といえばなんといっても谷崎潤一郎の旧宅があるところとして知られています。
住吉川という川ぞいに、有名な「倚松庵」が移築されていますが、最近、山側の「鎖瀾閣」(さらんかく)が新規復元のうえ公開されることになりました。ここでは、「痴人の愛」が執筆されており、また、谷崎自身のデザインによる建築物ということで、私はかなり楽しみにしていました。(なお、私は谷崎の作品の一部のファンですが、一部は嫌いです。また、谷崎がペルシャ猫を愛したというところは共感します。ただね、「タイ」から来た猫に「ふぐ」を食べさせて中毒死させたのはあまりにかわいそう。それから、いかにかわいかったからといって、愛した猫を剥製にするのも痛々しいものです。そういえば、開高健も「キンチャン」という猫を剥製にしていましたねえ。剥製って、残酷なものですよ。)

ところが、大阪朝日新聞の主催する「関西21スクエア」という、なんというんでしょうか、関西の「文化人」みたいな人たちの集まりの会報(91号)を読んでいたら、武庫川女子大学のたつみ都志さんが、「鎖瀾閣の復元が危機的状況である」というエッセイを書かれていて驚きました。

それによると、周囲の環境上の問題も大きいらしいのですが、私がいちばん気になったのは、「ナオミの家」を併設することにNPO法人の人々が会議で反対したという点です。ナオミの家は、大正末期の文化住宅の典型らしく、それを併設することで谷崎文学への理解を深め、実際に体験してもらおうというものだったようですが、その反対の理由というのが、(ここからたつみさんの文をそのまま引用します)「理由は、『痴人の愛』の家は教育上よろしくない、子供にどう説明すればいいのか、というのだ」というものでした。
笑ったらいけません。こんな時代錯誤な人々がまだいるんです。『痴人の愛』が「古典」化せず、人々の意識のなかに「あの姦淫文学」とかいった感想を残しているのであれば、それはそれですごい影響力でしょうが、おそらく反対した人たちは、ちゃんと本文を読んでおらず、イメージだけで、あるいは映画などで判断したのではないでしょうか。

子どもに谷崎文学を読ませてなぜ悪いのでしょう? 子どもには「坊っちゃん」くらいが適当だというんです? それは、「坊っちゃん」に描かれたオトナの暗い意地悪さなんかをわかっていないしるしで、結局漱石をバカにしたことにもなりますよ。また、きょうびの子どもって、オトナよりよっぽど毒を持っているもんです。甘く見てはいけません。

たつみさんが長文のエッセイを寄稿された気持ちはわかる気がします。あまりに無理解、あまりに勉強不足な神戸の住人たち。せめて地元の「文化遺産」(という言い方もよくないのですが)くらい大切にしなければどうしようもありませんよ(この、地元民ほどよくわかっていない、というのは京都でもまったく同じ。よそから借りてきたイメージ戦略で売ろうとしていますが、このままなら東京文化圏のディズニーランドとして消費されるだけです。もっと独自の文化をアピールしなければ。そのためには勉強しなければ。また、広島の三次市というところにある『稲生物怪録』について講演しにいったところ、地元の青年会の人が「いのうもののけろく」と言っていました。これが間違いだということをなぜか誰も言いません。間違いです。『国書総目録』ひいてみてください。「いのうぶっかいろく」で出ていますよ。その他にも例はあります。ちゃんと勉強してください)。

ということで、楽しみにしていた復元は当分見送りらしいのです。関わってきた方々の無念が身にしみます。「文化」を大切にしない日本人の典型を見るような気がしますね。神戸って、もっと進んでいるかと思っていたのに、なーんだ、後退してるねえ。中華街や異人館だけでは観光客はもう来ませんってば。阪神間に散在した「遺跡」や「有形文化財」はまだまだたくさんあるのですから、それを生かす方法を考えるべきでしょう。神戸ブランドは、神戸ビーフだけではないのです。
ほかにも、たとえば播州にはかなりの数の小規模な古墳が点在していますが、ほとんど観光資源になっていません。播州ったって、赤穂浪士ばかりじゃないんですよ。姫路城だけじゃないんですよ。古いお寺は、数では京都や奈良に負けますが、「とっておき」のものがあるんです。でも、いかんせん、交通が不便ですね。ほんとうにもったいない。京都や奈良は俗化の一途をたどり、神戸は相変わらずの異国イメージばかり、大阪も「吉本」の芸人さんのようなお笑いのイメージばかり(これも交通が不便ですが、大阪南部にはまだまだ知られていないお寺や遺跡がごろごろ。市内でも、平野区などは中世の町並みが残る貴重な地域です)、滋賀県のイメージも悪すぎます(ど田舎、とか、琵琶湖だけ、とか)。
なんとかしろ、関西!


景気回復した、などといいながら、関西は地盤沈下し続けているように思えます(実際、関西空港は毎年地盤沈下していますが)。
一度は関西を捨てようと思った私ですが、今は一生関西人(もっと狭い範囲でいえば京都人)でいようと決めたのです。大学がいっぱいある関西なのに、大学人が地域と連携をしていませんし、してもしょうもないプロジェクトだったりして、威力を発揮していません。

ずっと先、今の予定では3年後くらいですが、『京都論』(仮)をS社から出すことになっています。当然書き下ろし。準備にかなり時間がかかるでしょう。その予備戦として、今年はいくつかの場所で関連する講演をします。これは、私なりの関西、および京都活性化の試みです。
担当者からは「京都追放覚悟で思いっきり辛辣に書いてください」といわれましたが、あの入江敦彦(『イケズの構造』新潮社、ほか)さんならイギリスに帰ればいいけど、私はもう京都以外帰るところはありません。石投げられても、しぶとく住むもんね。

関西は、もしかすると独立してもいいかもしれません(冗談半分、本気半分)。昔、(三〇年近く前)福田紀一さんという『VIKING』の同人で高校の先生をしていた方が、関西が独立する小説『霧に沈む戦艦未来の城』(河出書房)を書きました(福田紀一さんの小説は全部持ってる。ファンですが、もうぜんぜん書かれませんね。どうなさっているんでしょう? なお、小松左京さんの「抜け穴考」でしたか、大阪城埋蔵金の話に登場されています)。
近未来に関西が独立してしまう話ですが、今思うとかなりリアリティがあります。関西に観光に来る輩からは、「関銭」とればいいんじゃないでしょうかねえ。それくらい考えてほしい、今の関西の弱体的状況です。

本日は、なくなったお正月を少し取り戻すためにマブダチと少々飲みました。マブダチも、お正月は書き下ろしで手一杯だったのです。彼女の名前は、次回の本の後書きにて披露しましょう。
でも、お互い「猫持ち」なので、ちゃんと最終電車の一本前で帰宅しましたよ。
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DATE: 2007/01/12(金)   CATEGORY: 未分類
お口なおし
ちょっと厳しいブログを書いてしまったので、気分直しに一本「小ネタ特集」を。
(なお、最近更新が多い理由がわかりました。大学院生の授業で、なんだかだらだらしゃべっていて、授業時間がとっくに終わってしまったのに、止めようがありません。「どうしたんやろう?おかしいね」と学生に言うと、一人の学生が「先生、お正月こもってはったとき、人としゃべってないんじゃないですか?」と言ったので、納得。ほぼ猫。としかしゃべっていませんでした。おしゃべりが溜まっていたようです。腹ふくるるわざなりけり)。

勘違い1
向田邦子の小説に、昭和初期の女学生が恋心を抱いている大学生から本を借りるシーンがありました(題名は忘却)。女学生は返すとき「マルクス・エンゲルスは難しくて」と言うのです。大学生は笑って「マルクスとエンゲルスは二人の人だよ」と言うのでした。
同じ勘違いをしていた私。
院生時代のボーイフレンドは、東京の研究会へ行くたびに読んできた本を私に貸して「これ読んでみて」というのですが(そのおかげで、この私でも少し文学理論というものを知っています)、あるとき『アンチ・オイデディプス』の大きな本を渡され、しかたなく読みました・・・いや、違う、「印刷されたインクのしみを見た」だけですね。なんにもわかんなかった。返却するとき「このドルーズ・ガタリっていう人は賢いのかバカなんかわからへん」と言ったところ、・・・(以下、同文)。

勘違い2
中学生のころでしたか、歴史の教科書に出てきた「柳宗悦」は「りゅう・そうえつ」という中国の人だと思っていました。「光悦」はその弟か、などとも疑問を抱いていましたね。日本って、渡来人の活躍がすごいんだなあ、と感じ入っていた中学生の私。京都御所の空に、雲が白かった三十数年前・・・。

勘違い3
8年か9年も前になるのですが、秋田県で、林真理子、佐伯順子、私、というメンツでシンポジウムをしました。女性に関することがテーマだったと思います。林さんは案外さばさばした、頭の回転が速そうな人です(私のバッグを見て、「大学の先生がディオールのカナージュ、持ってるんですかあ」と言ったのは気に障ったけど)。ここで、林さんは佐伯さんの著書をずっと『色と欲の比較文化史』と言い続けていて、最後に「あ、ごめんなさい。私っていつもこうなんだからあ」と謝っていましたが、佐伯さんは能面のような顔で怒りも苦笑もせず・・・。「色と欲」って、まあ、道連れですけどねえ。

最近、授業でまったく受けなかったこと
余談でいろいろな文芸作品を映画化されたものをしゃべっていたのですが、「モスラって、中村真一郎と福永武彦と堀田善衛が原案なんですよ」といったら、全員、モスラも中村もなにもかも知らなかった・・・。「ザ・ピーナッツ」の話しないでよかった。
友人の高校教師は、実相寺昭雄監督の最後の作品「シルバー仮面」の主人公の両親が森鴎外とエリスだ、としゃべったら、やはり全員、鴎外もエリスも知らなかった。とうぜん、実相寺さんのことも・・・・。

ああ、これからお風呂入って、鴎外さんの論文読もう。
『鼠坂』を上るのはしんどいねえ・・・。
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DATE: 2007/01/12(金)   CATEGORY: 未分類
阿部泰郎氏の書評
『日本文学』2月号に、松本郁代さんの『中世王権と即位灌頂』(森話社)の書評が載っています。評者は名古屋大の阿部泰郎さん。
お持ちの方で、いわゆる「中世即位法」に興味のある方は、ぜひご一読ください。非常に辛辣、かつ非論理的な批判が展開されています。松本さんの本にはたしかにいろいろな瑕瑾がありますが、阿部さんの書評は彼女の主張のはしっこをつつくようなものに見えます。

阿部さんの批判の的はずれな点、あるいは尻切れトンボ的な部分の一例として、黒田俊雄氏の権門・顕密体制論と松本さんの見解との差異がほとんど明確にされないまま、阿部さんがお好きな丸山静『熊野考』へとなだれてゆく部分があります。松本さんが丸山静を論のしめくくりとして持ち出したことは、私にも違和感がありましたが、ちょうどその足をすくうような阿部さんの論述にも説得力が見いだせません。

また、阿部さんは「即位法の一体何が(王と王権における)より本質的な聖なるものに当たるのか判然としない」と言いますが、この「本質」をあえて追求しなかったのが松本さんの論ではなかったのでしょうか。そして、阿部さんはかつて『湯屋の皇后』であえて「聖なるもの」の定義をしない、という事あげをしながら、ここでは松本さんに「聖なるもの」の定義を迫るという矛盾を犯しています。

そのあとは、ご自分の関心にひきつけたダキニ天の話や、自分の新しい編著の紹介、道順と文観のこと、などを述べてゆき、まるで自説の開陳のようです。
宝珠と舎利の関係について松本さんが触れていないのは事実ですが、それをもって「大きな亀裂」と評するのはあまりに酷でしょう。自分の関心事がもっとも大切な問題であり、それ以外のことは些末である、とでもいうかのような態度が、厳しい言い方かもしれませんが鼻につきます。阿部さんは、学会発表の質疑応答でしばしば自説の展開を長々とされ、司会者から「もっと手短にお願いします」とたしなめられることが多いのですが、今回の書評もそれとまったく同じ手法で書かれてしまいました。

なお、空海仮託の『御遺告』を「真言宗の存在証明であり根源的テクストないし聖遺物であれば」という一文がありますが、『御遺告』を西欧的概念である「聖遺物」と呼ぶのはいかがなものでしょう。私は舎利と聖遺物との近似を述べていますが、舎利を「聖遺物」を称したことはありません。阿部さんは「聖遺物」の研究書を読んでおられるのでしょうか。どうも、感覚的にお使いのように思えます。(阿部さんは「イコノロジー」という用語もよく使われますが、果たしてバノフスキーを読んで書いているのか、不明です。言葉の概念規定は非常に大切であり、著者の立場の表明にもなるものだと思いますが)。

書評の最後で、「もはや書評どころではなく、それは評者自身にはね返ってくる課題に他ならない」と結ばれていますが、これから阿部さんがどのように自分の答えを返してゆかれるのか、期待して待ちたいと思います。
「阿部ワールド」と私がかつて名付けたことがある、阿部さん独特の閉じられた物語世界的研究が、今後いかに開かれてゆくのかわかりませんが、松本さんの著書が触媒となることは言うまでもないと思います。

今回は、本日とどいたばかりの『日本文学』をネタに、緊急執筆いたしました。どうしても書かずにはいられず、また、阿部さんへの個人的手紙というかたちではなく、もっと中世研究者に議論をしてもらいたいために、ブログという媒体にしたことを申し添えます。阿部さんとは20年以上にわたる交誼があり、このような批判を不十分なかたちで行うことは確実に不興を買うと思いますが、阿部さんへの批判をする中世研究者がほとんどいない、いや、見たことがないうえ、最近の海外における日本中世研究者が阿部さんの論を定説であるかのごとく無批判に引用することへの疑問があったので、あえて書きました。
阿部さんにも言いたいことがおありでしょうが、さらに詳しい反論はどこかの紙媒体で書きたいと思います。
もし今なにか反論がありましたら、おつれあいにでもやり方を聞いて、この「コメント」に書き込んでください。
逃げも隠れもいたしませんから。
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DATE: 2007/01/11(木)   CATEGORY: 未分類
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DATE: 2007/01/10(水)   CATEGORY: 未分類
料理ができないわけ
・・・などという表題を見た人はきっと、「田中貴子ってやっぱり料理出来ないんだ」と納得することでしょう。「いわゆる`女らしさ`っていうのを否定してるヤツだからね」などという人の陰口も聞こえてくるように思います。

私はいわゆる「女らしい」ことはしませんし、外見もどちらかというと「男顔」で背が高い方ですから、そう見られるのでしょう。普段、ほとんどズボン(今ふうにはパンツ)ははかないし、大学へゆくときは必ず化粧もしているし、関西人らしく派手好みファッションなんですが、「女」という感じがしないといわれることが多いです。
前に勤めていた大学では、なぜかいわゆる「オタク」と呼ばれる男子学生たちに好かれていて、休み時間には数人のきわめつけの「オタク青年」が研究室を訪ねて来ていました。彼らに「なんでうちに来るの?」と聞くと、「先生って、女くさいないもん」との返答あり。「服も、女装しているみたいだもん」ともいわれました。「女は二次元がフィギアがいい」と公言してはばからない「オタク」くんたちにとって、私は中性みたいな存在だったようです。
もし音痴でなかったら、宝塚歌劇団を受験して男役やったらよかったかも知れない、などとも思います。あー、あつかまし。
ちなみに、私が「自分と正反対の`女っぽい`人だなあ」と思うのは、たとえば川柳作家のやすみりえさんなんか。彼女とは数回お仕事しましたが、「自分が男だったらこういう人に惚れるかも知れない」と感じた人でした。人間は自分にないものを求めるもんですね。

さて、話が飛んでしまいました。
料理のことです。

私はここ4年ばかりいっさい自炊をしていません。それには理由はあるのです。
その前に、ちょっと自慢。
それ以前は、一人暮らしが長いのでかなり料理をしていました。「たん熊」という京都の料亭がやっている「おせち料理講座」に行って、お節一式作ったこともありますし、鯛やシャケだっておろせますよ。大学生の頃、檀一雄の『檀流クッキング』を見つけて、載っているお料理はほぼつくりましたし、伊丹十三さんの『フランス料理を私と』のレシピも全部作りました(エクルヴィスやカエルはさすがに錦市場でも売ってなかったので、ほかのもので代用しましたが。なお、伊丹さんの本は私の愛読書の棚にすべて並んでいます)。愛用の包丁は「関の孫六」という銘が入っていて、これは三島由紀夫が自決したとき使った刀と同じ銘なので買いました。夜、論文につまると砥石を出してきて包丁をとぐのが非常にいい気分転換になり、「関の孫六」はかなり減っています。

自慢はもういい? 私はお裁縫も洗濯も掃除もまったくへたくそですが、料理だけは出来たんです。信じてね。
しかし、4年前のある出来事で包丁を「捨て」ました。

当時、牛肉の「狂牛病」問題が世の中を騒がせていて、小売りの牛肉には「個体識別番号」というものが付けられ、どこで飼育された牛かが記されるようになったのです。ニュースでそういうことを聞いていただけではほとんど何も思わなかったのですが、ある時、あまりに面倒くさいので夕食にはお肉をステーキにしようと、デパートの地下でサーロインステーキ用のお肉を買ってきました。一枚ずつラップで包まれていて、店員さんはそれを包んでくれました。
帰宅してフライパンを温め、冷蔵庫からお肉を取り出して、ラップをはずそうとお肉を裏返したところ・・・。
そこに「牛の個体識別番号×××××」と印字されたシールがあったのです。
私は、それを見た次の瞬間、お肉を取り落としていました。そして、機械的にゴミ箱へ捨てていました。
「個体識別」されているということは、その牛に「名前」がつけられているのと同じことのように思えたのです。名前のある牛を食べることはどうしても出来ませんでした。
よく、牛肉で有名なお店では、牛の生前の写真や血統書を見せて肉を供するところがあると聞きますが、「雪号」とか「但馬姫」などと名付けられた牛の肉を、何も思わずに食べることが出来る人がいることに改めて驚愕しました。
それ以来、私は料理することを一切やめました。

よくわかっています。そんなきれいごとを言ってもどうせ誰かが調理したお肉は食べるのだろう、完全なベジタリアンになったわけではないだろう。
今でもお肉は嫌いではありませんし、魚も野菜も食べています。自分の手を汚さないようなふりをしている偽善者です。今の世の中、どんなに「殺生」せずに生きようとしても絶対に無理だと思います。ヴェジタリアンだって野菜を「殺して」います。お薬だって飲むでしょうが、たとえば風邪薬には牛の内臓が使われていることを知るヴェジタリアンはあまり多くないと思います。
でも、あれ以来、どうしても料理が出来なくなったのです。平気でさばいていた海老や蟹、魚もさばくことが出来ません。生きた海老をゆでるとき、お湯のなかでさらに身体を曲げる姿を正視できなくなりましたし、魚の首をはねるときの肉の抵抗を思い出すだけで気分が悪くなります。
生き物の命をもらって人は生きることが出来るのだから、すべてをむだなく利用させてもらうことが生き物への供養になると、それまでは考えていました。ところが、そんなことが言えるのは自分が動物を「利用」する人間という立場にいるからだ、と思うようになりました。人間がたまたま世の中を牛耳っているからそんなふうに言えるだけで、「利用」されている動物にとってみれば大切な命を縁もゆかりもない人間に容赦なくとられてしまっているわけです。それが、とつぜん、非常に辛くなってしまいました。
極端な話ですが、もし人間の代わりに猫がこの世を牛耳る世界であったなら、人間は猫の食物や労働力として「利用」されても何も文句はいえないはずです。

どうして人間がそんなに偉いのだろうか。人間の知能が高いとか「人権」があるとか、本当のことなのだろうか。赤ん坊が虐待されて殺されたら大きな問題にするくせに、毎日多くの動物、昆虫、植物などが無為に殺されています。食物連鎖による捕食というのならわかりますが、人間の都合だけで命がどんどん失われているのが、辛いのです。
私は今、蚊に血を吸われてもそれをたたきつぶすことをしなくなりました。
単なる感傷であるかも知れません。
そう思う人は、そう思えばいいのです。
酒池肉林して何が悪いねん、という人のことを否定するものではありません。

ただ、このような理由で料理をしなくなってから、ときどきこんなことを思います。
中世の遁世者が出家や遁世をした理由に「殺生」がある、という説話が大変多いのは、やはり理由があるのだな、と。
「殺生」しなければ生きて行けない人間である自分、というものを認識するのは、しんどいことではないでしょうか。しかし、それを引き受けて生きることを、みんなしなくてはなりません。生きてゆくという「行為」が自分だけのことではないのだという実感を少し味わったというだけ、貴重な体験であったと思います。

ただ、だんだん人間が嫌いになりますけどね(個人ではなく、「人間」という存在そのものが、という意味ですが)。

お正月に心に残った本の一冊に、南直哉師(曹洞宗の僧侶)の『語る禅僧』(朝日新聞社)があります。南師は論客として知られる僧侶ですが、この一冊には非常に共感しました。
生きることに悩んだ人はよく出家しますが、南師の場合はちょっと違います。出家とは逃避でもなんでもない、積極的な生き方であることがわかります。
かといって、私が出家することはないでしょうけどね。仏教は好きですが(というより、仏教の資料が好き、というべきか?)、特定の宗教を信仰することが出来ないのです。宗教は私にとって「信じるもの」ではなく「研究の対象としてその裏側やメカニズムを解析するもの」なので。
でも、万が一出家しなければならなくなったら(どんな場合だ)、天台宗を選ぶと思います。だって、お寺の秘密の資料を見られる可能性が高いでしょう・・・。ああ、なまぐさいこと。

今日もまた、暖かい家のなかでお肉や魚を食べ、泡の出る般若湯を飲み、ペルシャ猫をなでています。
こんな人間が何言っても説得力ないですね、つくづく。
一度慣れてしまった環境を変える勇気はまだありません。

忙しいはずなのに、帰りの電車の中でいろいろ考え事をしていたら、急に書きたくなったのでついつい。
やっと初校を送ったのでやや時間が出来ました。
しかし、
二月末締め切りの『文学』の原稿の調べものもしなければなりません。
どうして私に森鴎外の注文が来るのだろう・・・。商売繁盛で笹持って来い、という感じ。果たして鴎外について新しいことが書けるのでしょうか? 森茉莉のほうがまだ書けると思うのだけど。またまたはらはらどきどきの毎日になりそうです。
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DATE: 2007/01/03(水)   CATEGORY: 未分類
新年早々・・・
ROMのみなさま、新年のご挨拶を申し上げます。
お年賀状いただきながら、今回は失礼してしまいました。
一日から校正ゲラにかかりきりで、連日座ってばかりです。猫は私がいつになく家にいるのでとっても嬉しい様子。
年末、LOFTにて低反発円座を新調しましたので、かなり座り心地がいいですね。
なんだか、今年一年を象徴するような新年です。

新年には似合わぬ病気談義を一つ。
昨年夏ころから、なぜか頬がほてる、急に汗が出る、動悸が激しい、といった症状が出てきたので、これはもしかして音に聞く更年期障害か、と思い、ネットで公開されている「更年期度チェック」をしてみると80点にもなり、「すぐに専門病院を受診してください」という結果でした。
まあ、46歳になったんだから、ありうることでしょう。しかし、解せないのが「更年期障害は鬱になる」らしいのですが、私はまったく反対の躁状態が続いていて、ほかから見てもおかしいくらい「ハイ」だったようです。
やや好奇心もあって、近所の女性医師の更年期外来を受診しました。

受付をすませると問診票を書くのですが、中に「異性に興味はありますか?」という質問があったので、「好みのタイプに限って、興味はある」と書いたところ、それを見た先生がほほえんで、「これは正常ですよ」。
そこでも「更年期度」は高かったので、血中ホルモン検査をすることになりました。当面のしのぎとして、漢方薬を処方してもらい、翌週結果を聞くことになりました。
漢方薬は、「補中益気湯」(体力不足を補う)、「葛根湯」(肩こり)、そして「当帰芍薬湯」(虚証の人用の、更年期障害的な症状を緩和する)の三種類で、もちろん保険がききます。

更年期障害になった、というのは何か複雑な気分ですが、そこでこんなばからしい仮説が浮かびました。更年期って、ある日突然気が付くんですね。男性にも更年期があることが最近定説になりましたが、男性の場合、ある日突然更年期に気が付くというのは、「ED」を自覚したときではないでしょうか。これって、かなりショックだと思います。
そこで、思い出したのは『伊勢物語』の最終段の「昔男」の歌です。

つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

これは、「わづらひて、心地死ぬべきおぼえければ」とあるので、病気になって死にそうになった時の歌であることは確かなのですが、何か変な感じがしませんか?
病気が急に進んだのであればわかりますが、「昨日今日とは思はざりしを」という感慨は不自然に思えます。また、もし死を覚悟したのなら、死は浄土へ行けることでもあるので、そんなに怖がらなくても、とも思います。
で、私の解釈は、「これは男がEDになったときのショックを詠んだ歌」というものです。「昨晩は大丈夫だったのに、今日はだめになった。いつか来る、とは聞いていたけれど、まさか自分がなるなんて」というような愕然とした気持ちが表れているように思えてなりません。
もちろん、これは邪推というものでしょう。あまり本気にしないでください。
ただし、更年期、というのは男性にとっても女性にとってもこのような「昨日今日とは思はざりしを」的感慨を呼び起こすもののようです。
果てして私は、更年期なんでしょうか?


さて、翌週、ちょっとわくわくしながら来院すると、先生は気の抜けたような顔で「ホルモンは20代後半くらい出てますわ。更年期じゃないですね。しいて言えば慢性疲労と自律神経失調症でしょう」との診断でした。20代後半のホルモンとはわれながらがんばっているようですが、じゃあ、このしわはなぜ? などと考えていると、「ちょっと休んだ方がいいですよ。よければ診断書書きますから、大学休みますか?」というありがたい仰せ。しかし、この時期、大学を休んでも自分の原稿が山積みなので、しょせん同じだと思い、「万が一のとき、診断書をお願いします」と念押ししておきました。

あまりに疲労が激しいのは、なんといっても、今年ほど徹夜をたくさんした年がなかったからでしょう。徹夜だけはすまい、と思っていた私でしたが、物理的に時間がまったくない状態でした。授業と会議を終えて帰宅後、食事と入浴をすませて(食事の際、飲んだビールをお風呂で抜くのです)、机に向かい、だいたい連日三時までは仕事をしていましたから。
それがうっかりすると徹夜になり、「あ、まずい、朝が来る」などとドラキュラのように恐怖するのですが、ドラキュラは朝になれば棺桶でねられるけれど、私は仕事に行かねばなりません。

徹夜は、当日、翌日くらいは大丈夫なのですが、三日目くらいからひびいてきます。中年になった証拠ですね。
夜は筆がすべるので、あえて書かない、という人もいますし、それはかなり当たっているのですが、そんなこと言ってられない状況が昨年でした。
なんでこんなに忙しくなったのでしょうか。
いろいろ原因はありますが、論文なんて三本くらいしか書いていないのでおそらくそのほかの雑文、講演会、そして書き下ろしが二本あったからでしょう。

ところが、私の悪い癖で、人間の限界を体験してみようなどと思ってしまい、とことん身体に悪いことを続けた結果、このお正月はがたがたになってしまいました。なんとか仕事しているものの、身体がとてもだるく、食欲があまりありません。限界を知る、というのは大切なことなのだと改めて思いました。

年末、プラセンタ注射を打って集中講義に行ったら元気だった、と書きました。これは合う、合わないが人によってあると思いますが、私には劇的に効きました。ヒト胎盤抽出液なんですが、2アンプルを筋肉注射します。自費診療で3000円くらいでした。でも、あくまでも体質によるので、もし打ちたいという方はよく先生の説明を聞いてからにされたほうがいいです。
ほかにもいろいろやりましたよ。
愛飲ドリンク剤は「チョコラBBスペシャル」なんですが、ローヤルゼリーも飲んでみましたし、2日に一回はコラーゲンドリンクを飲んでいます(協和の「フラコラ500」というやつで、通販で入手。最初は半信半疑でしたが、確かに徹夜しても肌がさほどぼろぼろにならなくなりました)。
気が付いたときには、気休めに野菜100パーセントのジュースを飲んでいます。
また、点滴は最後の手段ですが、効きます。昨年、入試の採点の前日に風邪をひいてしまい、立ち上がれなかったのですが、「なんとかしてください」と泣きついたところ、点滴で治りました。
それから、どうしても寝てはいけないときにはカフェインの錠剤を飲んでいました。「眠眠打破」というドリンクもありますが、これはコーヒー2杯分のカフェインしかないので、あまり効きません。愛用は「トメルミン」で、水なしで飲めるのが会議中などよいですね。大学院時代、演習が大変でよく飲んでいましたが、まさか今頃また飲むなんて・・・。身体によくないでしょうが、いざというときのために知っておいてよい薬です。
どうも私は薬が好きみたいですねえ。家の仕事が関係しているからでしょうか。

うちの家は小さな診療所だったんですが(今は父が病気で休院中)、小さいとき虚弱児だったのでよく点滴をしてもらいました。そのたびに劇的に効いていました。自宅には点滴のボトル(当時はまだガラスびん)を吊るところがなかったので、鴨居にひもをひっかけて吊っていました。
薬が日常的に身の回りにあったので、飲むのに抵抗がありません。昔、母がドーナツを作ってくれたことがありますが、薬局へ行って「重曹」を薬包紙にとってきて、それをふくらし粉の代わりにしていました。父の身体はいつも薬くさーいので、タクシーに乗ると「お医者さんですか」と必ず言われていました。私は今でも薬くさーいお酒などが好きです(ウンターベルグ、という胃薬そのものの薬草酒などです)。

・・・などと、結局自分の「徹夜自慢」になってしまったようですが、もし慢性疲労の方がいらしたら、何か参考になるかも知れません。しかし、慢性疲労は今でこそ立派な病気ですが、少し前なら「怠け者」としてしか扱ってもらえなかったものです。病気の概念は、時代によって変わるものですねえ。

ほかにも私はちょこちょこ持病があり、その対応策にはかなり精通しているつもりですが、あんまり病気のことを書くのも何なので、このへんでやめます。
つくづく、研究者は身体が資本だと思います。頭は鍛えればなんとかなりますが、身体はなりませんから、だましだまし、毎日泳いでゆかねばなりません。
まるで、眠るときも泳いでいる回遊魚のようなもんですね。「研究者マグロ説」ーー死んでから食べてもおいしいとは限らないのが、マグロと違うところですが。

なお、最近文庫化されたいしいしんじ『東京夜話』(原題は「とーきょーいしいあるき」)には、マグロとシャケとの純愛物語があって、なかなかよいです。

次回はもっとましな話を書きます。お正月なので、それこそ「筆がすべった」のでした。

今年が、みなさんにとってよい年になりますよう祈念いたします。
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