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DATE: 2006/12/28(木)   CATEGORY: 未分類
集中講義から帰ってきました
年末になりました。年々、年末だの正月だのが縁遠くなります。
今年はなぜか非常に忙しい年になり、おそらく来年も続きそうなのですが、亡き恩師の稲賀敬二先生が「大学に就職すると、年を追うごとに絶対暇にはならないからね」とおっしゃっていたことが身にしみています。

さて、今年は集中講義を二つ経験しました。八月に九州大学、十二月に広島大学です。二六日に広島大から帰ってきて、一日だけは休もうと思っていましたが、今回はプラセンタ注射のおかげか声が枯れず、最後まで元気でした。
今まで集中講義は何回か行っています。まだ三十代になったばかりのころ、山形大学がなぜか呼んでくださったのを皮切りに、筑波大学、同志社女子短期大学、奈良女子大学、そして今回の二大学、と、そこそこな数になりました。同志社女子短大と奈良女大以外は遠くですので出張することになります。
集中講義はだいたい四日間が設定されており、半期分をその間にこなすため合計15から16コマを連続講義します。朝、9時ころから夕方4時ころまでしゃべりっぱなしが続くと、さすがに三日めあたりから声が枯れ始め、ひどいときは出なくなりますね。今様を歌いすぎて声が出なくなった後白河法皇もかくや、と思える、そんな状態です。そうしたときは当初、焼酎(甲類のアルコールそのものみたいなやつ)でうがいするとまたなんとか出るようになるのですが、最近は「のどなんとか」というスプレーなどが揃っているうえ、コンビニエンスストアで手軽に焼酎が買えるようになりましたので持参することはなくなりました。ブランディーもうがいにはいいのですが、匂いが気になるのであまり使えませんし、うっかりと飲んでしまうこともあるので、まあ、焼酎が無難です。
私が集中講義を引き受けるのは、一つには「頼まれたら断らない」ことを自分に課しているからですが、どうしても時期的な都合があわずお断りした大学もあるのであまり大きな声では言えません。もう一つは、他の大学の学生さんの雰囲気を知ることで自分の授業や研究に刺激がもらえるから、という理由があります。また、集中講義では新ネタをやりますから、それをもとにして書き下ろしを書くことも出来ます。これで無理矢理書いた本はすでに何冊かあります。

旧国立大学に行くことが多かったのですが、学生の気質はすべての大学で異なっており、非常にためになりました。もちろん、一日中立ちっぱなし、しゃべりっぱなしは疲れますが、毎週のルーティーンワークではない一期一会的な授業ですから、気合いが違うのです。これは、勤務校の学生さんには本当に申しわけないことなのですが、最先端の研究と過去の先行研究をちゃんとふまえ、新しい資料と知見を出して、しかもわかりやすくしゃべり、授業が終わったら即、原稿になる、というような授業は正直言って毎週出来るようなものではありません。私のような者であると、週に1コマで精一杯でしょうね。また、勤務校では段階的に学習をさせてゆくことが求められますから、自分の研究をそのまましゃべる、なんてことは難しいのです。その点、集中講義は研究のまとめになってちょうどよいわけです。

また、地方大学へ行くと、迎えてくださる教員方や学生たちの配慮で楽しい時間やおいしいものが食べられるという余得もあります。昼食と夕食には名物が用意されることが多いのですが、集中講義は体力を使いますので通常二人前くらいずつは食べるのですが、だいたい終わってみると1,2キロは体重が減っているものです。しかし、山形の手打ちそば(板そば、といいましたね)やその後無理を言って送ってもらった無選別のさくらんぼの大袋は忘れられませんし、筑波では鰻、九州ではイカや地鶏、広島では海の幸と純米酒など、いったい何しにきたんでしょう、というような状態になりました。
大学によっては、授業が終わると学生や院生がやってきては私を「拉致」し、近所の居酒屋で11時くらいまでしゃべくることもあり、こんなことをしていたら声が枯れるのは当然なのですが、集中講義の教員はいわば「まれびと」なので、歓迎され、また、珍しがられます。それも楽しみの一つですね。
あまり人づきあいをしない私がこんなことをするのも、集中講義が一期一会であるからかもしれません。学生たちに刺激を与えて去ってゆくことが、集中講義の教員の役目でもあるのでしょう。風の又三郎的ですねえ、なんか。
まあ、私も集中のときは「出開帳」などと称していますので、ご本尊として好きなことをしゃべっています。お祭りの一種みたいなものでしょうか。
勤務校の学生にこの祝祭空間を味わってほしい、とは思うのですが、これも正直言って毎週会う学生とはこんなふうな雰囲気にはならないのです。それは、彼らを教育する責任があるということもありますが、卒論までの長いつきあいの中であまりお祭りはいらないだろう、とも思うからです。お祭りよりも、淡々とした日常によって何かをゆっくり学んでほしい、と考えているのです。いいわけがましいですが。

私は以前から、学会発表や講演、そしてこのような特別な講義を頼まれた場合、かばん一つ持って呼ばれたところに行き、仕事をしたらさっと帰ってくる、というような遍歴する職人的な人にあこがれを抱いていたのでした。股旅物や仕事人物(池波正太郎さんの)の読み過ぎだと思います。定着することがよほど性に合わないのかもしれません。大沢在昌さんの「新宿鮫」シリーズの鮫島警部がずっと好きなのも、彼が組織の中にいてもアウトローであり、自分の力で解決しようとする姿がいいのだと思います。男だったら鮫島警部みたいな人になっていた可能性は大です(もちろん、上級国家公務員試験には通らなかったかもしれません)。今でも充分、帰属意識なしに好きなことやってるように見られているようですが・・・。
ただ、最新作の『狼花』には、鮫島警部の前途がなにやら暗く感じられる箇所が多く、アウトローでいることの限界が今後描かれるのかもしれないですね。それにしても、鮫島警部、ずっと35歳でいいなあ・・・。もう、NHKみたいに、舘ひろしでは演じられないですね。

話が飛んでしまいました。
集中講義のいいところとは、教員も学生も「ほかの世界」に触れることが出来るということだと思います。井の中の蛙さんがいっぱいはねている今の大学にとって、風の又三郎的出来事があったほうがいいと強く思います。ところが、じょじょに、こうした集中講義を呼ぶ枠や予算が削られつつあることは残念です。多くの学生たちは、入学した大学の授業しか知らず、ずっとそれがスタンダードだと思いこんで卒業してしまうのでしょう。院生だって同じです。でも、それで「こんなもんか」などと思ってほしくはありません。「書を捨てないで街へでよう」。ああ、最近の学生は寺山修司は知らないんでしたっけね。

話す方も聞く方も、お世話する方もとてもしんどい四日間ではありますが、こうした制度がなくならないことを切に祈ります。
今度はどこが呼んでくださるのでしょうか。あるいは、もうないのでしょうか。大学での仕事と自分の研究で手一杯な私ですが、やっぱり、かばん一つさげて風の中へ出て行く自分に酔いたい気持ちはあるんですよ。そして、職人としての研究者という側面をずっと持っていたいとも思っています。それが、今浮沈しつづけている国文学の世界に何らかにの形で寄与することになれば・・・。お給料もらっている大学に滅私ご奉公したり、権力者に頭下げることより、もっと大きな目で何かを見ていたいと私は思います。

「新韓流」の話がまた延びましたね。これは、実は姜尚中さんのことなんですが、またの機会に。
年末ですが、来年春に出る『検定絶対不合格国語 古文編』(仮)のゲラが来ていますので、明日から仕事を再開します。でも、いちおう冬休みなんだから、映画はぜひ見たい。「王の男」(評価する人とそうでない人に分かれているので、確認のため見たい)と「パプリカ」はなんとか明日、あさってに足を運びたいものです。なんのために映画館に徒歩10分のところに住んでるんや、てなもんで。
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2007/10/17(水) 09:28
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