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DATE: 2007/01/16(火)   CATEGORY: 未分類
認識不足だった・・・
ただいま、つかの間の休息時間を楽しんでおります。睡眠時間もちゃんととっていますし、ずっと読みたかった本を読んだり、考え事をしたり、論文の構想を練ったり、次回の校正が来るまで、ほんとうにつかのまですが。

そこで、読んだ本のなかに、

嵐山光三郎『悪党芭蕉』

があります。ずっと読みたくて読めなかった本なのですが、どうやら泉鏡花賞を受賞された由。
正直言って、江戸の俳諧には非常に疎い私でしたが、「芭蕉は悪党だった」という帯に惹かれて購入しました。芥川龍之介がかつてそのようなことを言っていたことも初めて知りました。
芭蕉の弟子にはいわゆる「犯罪者」もおり、熾烈な権力闘争が渦巻いていたという、「俳聖」のイメージをぶっこわす内容です。
芭蕉、というと「忍者だった」とか「スパイだった」とかいう俗説がありますが、嵐山さんは資料を押さえて、かついろいろな実体験をも込めて記述していますから、説得力があります。研究者には書けない文章でしょうね。

そのなかで感心したことを一つだけ。
あの有名な「古池やかわづ飛び込む水の音」を「考証」する場面があります。誰でも知っているといってもよいこの句には、謎があるのです。
(ちなみに、ある本で、アメリカの留学生に「このカエルは何匹いますか」と尋ねた人の話が載っていました。学生は「少なくとも百匹はいるよねえ」と言った由。日米の感覚の相違、といった文脈で語られていた記憶がありますが、この句が、誰でもが思っているような自明の句ではないことがよくわかります)

この句は、深川の清澄公園(現)あたりで詠まれたとのことで、嵐山さんはそこへ出かけてゆきます。そして、カエルの図鑑を開いて関東地方に生息するカエルの種類を確認した後、池にカエルが飛び込む姿を観察しようとするのですが・・・。

カエルって、池には飛び込まないんですと。もそもそっと端から入ってゆくだけなんだって。何回見ても、絶対飛び込まないらしい。もちろん、音なんかしません。カエルが池に飛び込む場合があるとすれば、それは何かに追われて危機的状況にある場合だけだというのです。

では、芭蕉が「聞いた」音とは何だったのでしょうか?
嵐山さんは「幻聴か」と言っていますが、観念的な音であったことは間違いないでしょう。そして、芭蕉は景色を見ても過去の西行なんかが詠んでいる風景を通して「架空」のものを見ている、といった結論に至ります。これは、すでに芭蕉の研究者の間では周知のことだと思うのですが、研究者はなかなか深川でカエルを観察するまでしませんし、そんなことをしても文学の意味はわからない(経験で文学を語ってはいけない、ということ)と言うのだと思います。

これはしかし、私にとっては目から鱗であって、実地に行けばわかるとかいったことはないのですが、やってみることをバカにしてはいけないと思った次第です。

ということで、私もあることを確認しようと実地観察に行ってきました。行ったのは京都市動物園。目指すは虎の檻です。
なぜかというと、これは旧著『鈴の音が聞こえるーー猫の古典文学誌』にもちょっと書いたのですが、円山応挙が虎を描くとき、彼は猫をモデルにしたに違いない、とにらんでいるからなのです。最近、金比羅宮蔵の応挙の「虎図」(水のみの虎)の障壁画を写真で見たところ、水を飲んでいる虎(2匹、子どもと大人)の姿があまりにも猫的だったのです。これは猫を毎日見ていればわかるわけですが、それでは実証的ではないと思い、虎が実際に水を飲んでいるところを見に行ったわけ。

江戸時代の日本には虎はいなかったので、画家が虎を描くときには輸入された虎の毛皮をお手本にした、ということは有名です。しかし、毛皮は平面。これを動かすには実際虎に似た動物を観察したのではなかろうか、と思います。猫は虎の子孫などといわれるように同属で似ていることはいうまでもありません。
また、もっと確実な証拠があります。応挙の虎の目の光彩に注意すると、猫のように「縦」型なのですが、本当の虎の光彩は「丸」なのです。毛皮では目の光彩までわかりませんから、これは猫がモデルである可能性を高めるものではないでしょうか。

また、応挙の水をなめる虎の舌をよく見ると、舌が内側に巻いています。これは、猫が水を飲むときの舌の動きにそっくりなのです。猫が水を飲むとき、舌を上に向けてすくって飲む、と思っている人が多いのですが、実は内側にくるっと曲げて飲んでいます。
それに、虎図の左側にいる子どもの虎のおしりのあたりが、なんといってもうちの猫の後ろ姿そのままに見えます。ほっぺたが張っていて鼻が見えない横顔もいっしょ。虎ならかなり鼻が高いので少しくらいは見えるはずですが、まったく見えていません。
うちの猫はペルシャなので、鼻が低く、横顔は頬しか見えませんから、もしかしたら江戸時代に日本にペルシャ猫が渡来していたのか、などと空想すると楽しいです(ペルシャ猫は19世紀にイギリスで人為交配によって生まれた種類ですから、応挙の時代にはまだいません、念のため)。

で、ほぼ40年ぶりくらいに動物園に行ったのですが、虎、なかなか水を飲んでくれないんだよね。かなり待っていましたが、ついに水のみの場面は見られず。しかし、虎の歩き方などを観察すると、やはり猫とは異なっていてもっとゆったりしています。
どうしても、応挙が猫をスケッチしたと思いたい私なのですが、「それがわかってどうなるの?」といわれても、とくに学問に寄与するもんでもなし、単なる道楽ですが。

ただ、私はいろいろなものにはかなりの割合で「モデル」あるいは「出典」がある(とくに前近代の場合)と思っていますので、この説にはまだ魅力がありますね。

もう一つ、認識不足だと思った話を。
今日、朝日新聞の「青鉛筆」という囲み記事に「時代祭に室町行列が新たに登場する」というものがありました。
時代祭なんて新しい祭り(1895年に出来た)、あんまりバカらしくて実物を見たことはありません。ニュースでやっていたとき目にしたくらいなのですが、これがうっかりでした。
そういえば、室町時代の行列を見た記憶がありません。足利尊氏も義満も、いませんねえ。
記事によると、祭りが始まった当時、尊氏が天皇に刃向かった「逆賊」であるとして室町時代は無視されたとのことでした。
こういったことを、私は小学校から高校の歴史で習った記憶はありません。歴史学をちゃんと修めた人には周知のことでしょうが、そのほかの現代人にとって、室町時代といえば「義満の北山文化」「義政の東山文化」が麗々しく金閣、銀閣とともに描かれている教科書しか知らないはずです。
(ちなみに、鹿苑寺に行って「金閣寺」といったらお坊さんに嫌な顔されますよ。金閣は寺院のなかの舎利殿にすぎませんから。銀閣も同じ。こちらは慈照寺の観音堂です)
でも、こうしたことはきっと、戦前に教育を受けた人なら常識だったんでしょうね。室町時代の近代における評価に気が付かなかった私は、きっと南北朝時代に脚光があてられた(網野善彦さんが論壇にデビューした)頃に大学に入っているので、てっきり室町時代も評価が高かったと勘違いしてしまっていたのです。ほんとうにうかつ。
こんなことがあると、もっと、近代における過去の時代の評価について勉強すべきであると痛感します。その意味で、近代を無視して前近代を語ることは出来ないといえるでしょう。

ただ、そうすると、山田風太郎が『室町少年倶楽部』とかいった室町ものを書いているのは、あの時代の人にしては非常に先見の明があったということになるのかな。花田清輝の『室町物語集』の評価もさらに考える余地があります。

世代論ですべてを語るのは嫌ですが、私(60年生まれ)の世代の人間はそれ以前の人が「知っていて当たり前」のことを知らないでいる、ということが多いです。80年代生まれの学生が日本とアメリカが戦争したことを知らないといって笑うのは、いけないことかもしれませんね。
でも、調べればわかることではあります。先の芭蕉や虎図の場合は体験や経験も何かを考証するつてになる、ということを言いましたが、体験ばかりが能ではなく、体験を調べて追体験することは可能でしょう。「あんたがたは戦争の悲惨さを体験していないから何も言う資格はない」と私などよく言われましたが、それはたまたま彼らが体験してしまった不幸であって、体験しているからすべてがわかるというのはおかしいことです。

いろいろと学ぶべきことはありますなあ・・・。時代祭、今年は行ってみようかな。足利尊氏に扮するのは一体だれなのでしょう?

このブログ、2月になるとしばらく更新出来なくなりますことをお断りしておきます。
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2007/02/08(木) 18:27
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