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DATE: 2006/04/07(金)   CATEGORY: 未分類
2006年フランスの旅(後編)
今回はフランス旅行記の最終回です。
記憶が定かなうちに書いてしまおうと思ってはいましたが、三月末から四月初めは非常に忙しく、ようやく何とか時間をとったのでした。
私は毎年テーマを変える研究者なので、一度気になったら一年くらいそのことばかりに夢中になり、人にもそればかり話すので、今年も「またお骨の話?」などといやがられることしきりです。また、舎利信仰に始まって聖遺物、ミイラ、即身仏、そして近代では共産圏によくある指導者の永久保存遺体まで興味を持って本を読んでいると、おもしろくて人に話したくなりますが、冷静な人は「そんなに広げたら収集がつかなくなるよね」とか「資料をどんな視点でつなぐか整理が必要だよね」という忠告をくださいます。
その通りです。楽しいだけでは研究にはなりません。そろそろ自分の研究の姿勢を考えるべきときにきているようです。でないと、本も、図版と資料を並べただけのカタログになってしまうことでしょう。

昨年、文字通り「はまって」いたのは泉鏡花でした。一年間、中世文学の論文を書かなかったくらいです(近代と近世のお化けについての論文は三本書きましたが・・・・)。あまりに私が「鏡花、鏡花」とわめいていたので、ある日、『狂歌百物語』という本を探していたら、院生がいっしょに本棚をごそごそしてくれたあげく、「先生、鏡花百物語、はないですね」と言うのです。
鏡花百物語・・・それはそれでなかなかいい題名ですよね。
今年、私からの「被害」を被っているのは学生たちです。おかげで私の専門は「骨」だと思っている新入生がいるようです。今年は十二月に広島大学へ集中講義に行くのですが、そのテーマが「怪異と文学」なので、舎利信仰と遺骨信仰の話をするつもりでいます(安易に怪異といってはいけないのですが)。その資料としてミイラの写真(内藤正敏氏の『日本のミイラ信仰』法蔵館、にはミイラのアップをとらえた迫力ある写真が満載です)をパワーポイントで資料化していたら、夜、「ミイラジュース」を飲んでいる夢を見ました。干し首くらいの大きさのミイラの頭骨がプラスティックのコップに入っていて、それをぎゅーっと押しつぶしてジュースを飲むのです。気持ち悪かったですが、ジュースはパイナップルジュースのような味でわりあいおいしかったです。

さて、旅行記に移りましょう。

十六日。
昨晩なんとかパリに帰り着いたのだが、遅かったので疲れ切っている。夕食はあまりに面倒くさいのでホテル近くのカフェに入ったが、まずいことに有名な「カフェ・フロール」だったのに後で気づいた。ここは観光化されているうえ、やたら高いのである。しかたなくビールとサラダを注文して当たりを見渡すと、日本人の女の子が二人いて、皿に載せたケーキを手にvサインしてで写真をとりあっている。あのVサイン、私は大嫌いだ。いうとくけどね、パリやったらカフェの甘ったるいケーキよりも「サダハル・アオキ」のケーキのほうがよっぽど洗練されていると思うで。

本日はパリ市内をめぐる。
午前中は国立中世美術館へ行く。以前来たことはあるのだが、そのときはクリュニュー美術館といっていたような気がする。サン・ジェルマン・デプレから少し歩くといきなり廃墟のような建物が現れて、そこが美術館である。ここは一角獣と貴婦人を描いたタペストリーで有名で、私がフランスへ来る直前にタイムリーに発売された『芸術新潮』3月号「パリ 中世の美と出会う五日間」特集にその解釈をめぐるいろいろな説が記されている。が、やはりここでも私の目的は聖遺物箱を見ることである。
傾いたような古い建物にはぎっしりと中世の品々が陳列されているが、ある部屋に来ると、すでに内容を失った聖遺物箱ばかりを集めたコーナーがあった。いずれもガラスのまわりを金属の彫刻で囲ったもので、箱型だけでなく、まるで日本の舎利容器のような丸いドーム型のものもある。
ただし、舎利の場合は骨とはいえ粒状になっていて現状をとどめていないからほとんど生々しさは感じられない。また、もちろん荼毘に付されたはずのお釈迦さんの遺骨があるわけはないから、すべてが偽物、あるいは骨以外の物で作られた代替物を拝んでいるわけである。舎利の長さを仮に3ミリとしても、日本に将来された数千粒のすべてをつなぎあわせたとすると、お釈迦さんは三メートルを越える体であった、ということになってしまい、この点からも偽物であることは確定的である。舎利は分散といって個人の信仰心によって数が増える奇跡を現すから、増えたぶんはおそらく誰かが作ったのである。
この舎利の分散に似たことが、インドの聖遺物でも起こっているということを小坂幸代氏の論文で読んだ。インドでは聖人のひげ、髪の毛、爪などの身体的聖遺物を祀るが、ひげがあるとき二股にわかれたのでそれを分けて祀った例を小坂氏は実見している。
舎利は「見る」ことに主眼をおくが、聖遺物は実際に信者が口づけしたり手で触れたりすることがあるので、このあたりが日本と西欧カトリックとの違いであるのかもしれないが、まだまだよくわからない。なお、舎利容器の実物は、奈良国立博物館で行われた「舎利と宝珠ーー釈迦を慕う心」という展覧会に出品され、図録にもなっている。
中世美術館でわりあいに無造作に展示された聖遺物箱を目にすると、こうしたものが中世には数限りなくあったのだろうと思われる。しかし、内容物のない聖遺物箱はなんだか荒廃した感じがあり、さむざむしい思いがした。
美術館ではほかに写本などを見たが、あとはさっと流して退館。美術館や博物館では、なにかテーマを決めて見るほうが楽しいなあ、と思う。パリへ来たらほとんどの人がルーブルやオルセーに行くのだろうが(もちろん私も初めて来たときは行ったが)、興味の的を絞らずに漫然と見ても何も覚えていないのではないだろうか。私は日本人が好きな印象派絵画というのがまったくだめで、オルセーに行ったときは「まあ話のついでだから見ておこうか」という程度だった。中身はまったく覚えていない。こんなのはお金と時間の無駄である。

お昼になったので、昼食に行く。ルーブルのショッピングプラザの二階に各国料理のファーストフードがあると聞いたので、行ってみるとなるほどお手軽にいろんなものが食べられるようになっている。日本人の姿はないようなので、ここは穴場かもしれない。モロッコ料理のコーナーに並び、よくわからないのでクスクスとミントティーを注文する。9・5ユーロ也。ファーストフードにしては高いが、パリは物価が高騰しているのでまだましかもしれない。クスクスは量が多いが、ほかの女性たちはそのうえにお肉の煮込みなどを追加し、さらにデザートも注文していた。私はかなり大食なのだが、それでも外国ではしばしば量をもてあます。数あるお店のなかで、アメリカンのハンバーガー店にもっともたくさん人が並んでいたのが奇妙に思えた。
食事を終えて、ショッピングプラザで石けんやシャンプーの「ロクシタン」と化粧品の「セフォラ」を見る。おみやげを考えなければいけないからである。「ロクシタン」は京都にもあり、品揃えはほとんど同じ。「セフォラ」は一時日本にもあった化粧品のチェーン店だが、セルフサービスでいろいろなブランドの品物が買えるのが気楽である。とくに、香水やトワレの品揃えは豊富で、免税品店よりこちらがお勧め。春夏用のキャシャレルのトワレを買う。

地下鉄を乗り継いでギメ美術館へ。
ルーブルを初めとする観光地を通る地下鉄一番線はいつも混んでいるし、スリなどのトラブルが多いので、なるべく乗らないようにしているのだが、今回はやむなく数区間乗った。駅で、「地球の歩き方」らしきガイドブックを必死でめくっている女の子の二人連れを何組が見かける。気を付けた方がいいのになあ。
私が初めてヨーロッパへ行ったとき、いろいろ指南してくれたのは年上の友人で、彼はそのとき50回を超える渡航経験があった。彼に教えてもらったのは、「パスポートと帰りのチケット、いくらかの現金、そして予備のクレジットカードを袋に入れて首から吊っておく」ことである。いかにも一昔の日本人ふうで、薄着のときはかっこうわるいのだが、万一のことがあってもこれで日本へは帰れるわけである。腰に巻くのは、女性の場合トイレで落とす危険があるので、私はいつも吊っている。幸い、今まで盗難やスリに遭ったことはない。

ギメ東洋美術館も二度目である。ここの「白っぽい」雰囲気は好きだ。1月にとある研究会で「立ち上がる鰻の怪」というテーマで発表したとき、「立ち上がるもの」の一例としてギメ所蔵のインドのナーガ像を使ったのであるが、それを実見するのが目的である。
ギメというと、少しく思い出がある。私が広島大学の助手をやめて京都の短大に就職したとき、ふるさと・関西で初めて行った展覧会が「よみがえるパリ万博と立体曼荼羅」というギメの日本初展示だったのだ。例の、エミール・ギメがわざわざ作らせてフランスへ持ち帰った東寺の立体曼荼羅像や、室町時代くらいによく作られた大黒天やあやしい宇賀弁才天の小さな像がたくさん出展されていた。会場には、ベルナール・フランク氏が来ておられ、友人らしき人に流暢な日本語で解説されていた。
ギメは、じっくり見ていたらいくら時間があっても足りないので、今回はインドの部を中心に見ることにする。太ったガネーシャ像の前で、小学生らしき生徒に先生が解説をしている。何といっているのか気になる。
ナーガ像はガラスケースの中に見つかった。蛇が鎌首をもたげた格好なのだが、下半身は失われている。30センチくらいの意外に小さな像だった。ほかに、釈迦の後ろに立ち上がったナーガがまるで傘のように身を広げて釈迦の頭上を覆っている像がいくつかあるが、このナーガの下半身はとぐろを巻いているのである。すると、私が見たかったあの像も、下半分はとぐろだったのかもしれない。とすると、「立ち上がる鰻の怪」、すなわち、鏡花と岡本綺堂が描いている鰻の怪が「鎌首をもたげる蛇」の像容にヒントを得たものであるという私の説があやしくなる。蛇は鱗があるが、鰻はぬめぬめした肌で、その点も異なる性質を有するものなのだが、普段這っているものが「立つ」ことが喚起する恐怖感や生理的な感じを説明したかったのである。むむ、これは出直しかも・・・。再考を要す。
次にチベットの部へ。チベット仏教というのがよくわからない。タンカ(チベットの仏画)はある部分、日本密教のそれに似ているが、何か異常に過剰な感じを受けるのはなぜだろうか。もっと勉強すべきだなあ、と思って見ていると、頭骨を使った儀式用の杖を発見。頭蓋骨の縫い目がありありと見える。髑髏杯みたいである。
髑髏、といえば中世にはやったという髑髏法が当然想起される。国王や父母、そして「頭の大きな人」の髑髏を本尊として修法を行うという、「外法」といわれるものであるが、これが鎌倉時代にかなり普通に行われていたことは拙著(『外法と愛法の中世』平凡社ライブラリー)に少し記した。この髑髏本尊の作り方のおどろおどろしさはすでに喧伝されているが、当時の人にとってほんとうにおどろおどろしかったのだろうか? 戦乱を体験した中世人にとって遺体とか人骨などはごく当たり前に目にされるものであろうし、鳥辺野などに遺棄されて白骨化しているものもあるはずで、遺体と隔離されている現代人とはまったく感覚が違うことは間違いないだろう。だが、葬るべきもの、死のケガレというタブーをまとっている遺体や髑髏を本尊にしてしまう感覚というのはどのようなものなのか。
そういえば、浅井長政の髑髏杯、という伝説もある。あれは権力者が敵を辱めるためにやったと理解されるが、そんなことをした信長が単なる変わり者だったといえるのかどうか、疑問である。
日本の中世人の、お骨への感覚を「実体験」することは難しいだろうが、こうした感覚のかけらでも資料から見つけられればと思う。

ギメの最上階には日本の部がある。もちろん、東寺の立体曼荼羅は通常展示にはなっていない。ここには、日本人から見ると実に雑然とした展示がなされている。能面の横に土偶があり、その横に「三十六歌仙絵」が飾られる。浮世絵も定番である。うーん。時代ごちゃまぜのこの感覚にはついて行けない。NYのメトロポリタン美術館の方がまだ整合性のある展示をしているように思う。しかし、もしかしたら日本人だって海外の美術品を展示するときにおなじような誤りを犯しているやもしれず、それはインドやパキスタンの部の展示にもいえることである。パキスタンの人から見たら「変」かもしれないからねえ。
西洋諸国の博物館や美術館で東洋の古いものを見ると、「麗々しく展示してあるけど、みーんな略奪してきたもんやんか」という気分になることが多いが、ギメは「買ってきた」ものがほとんどなので、まあ許せるか。ちなみに、ギメの仏教書の調査をした人によると、(文学研究者にとってだが)ろくなもんがないというが、一度見てみたいものである。

ここでかなり疲れ果てて、行く予定にしていた国立図書館の展示はスキップすることにする。イスラムの写本というのは興味があるので残念だが・・・。そこで一度ホテルに戻った。
一休みしてから、また地下鉄で買い物に出る。自分へのおみやげを買うためである。いくら貧乏旅行とはいえ、何か記念になるものが買いたい。私はピアスを集めているので、パリではよく「アガタ」へ立ち寄ったのだが(「アガタ」は日本の六割くらいの価格で、パリではお買い得)、今回は日本では青山にしか出店がない「レ・ネレイド」というブランドへ行く。ここは、花モチーフで有名なアクセサリー屋。本店の扉を押すと、目くるめくほどの数のピアスとネックレス、ブレスレットなどが並んでいる。迷いに迷った結果、珍しい「きのこ」と花モチーフのピアスとネックレスを購入した。宝石ではない、ただのアクセサリーなので安いもんである。お店の女性に「京都にもぜひ出店をお願いする」と言って店を出る。
次にギャラリー・ラファイエット(デパート)へ。私は外国に行くと、お寺、市場、本屋、そしてデパートには必ず行ってみる。平日なのにごった返す店内、購買欲豊かな女性たちは日本と同じである。少し洋服や小物売り場を見て、地下食品売り場へ。大学の人々へのおみやげにチョコレートを買う(チョコレートくらいしかおみやげの選択肢がないのである)。ついでに夕食のためにテイクアウト容器に入ったサラダと、あまりきれいだったので日本食が恋しいわけではないけど「スシ」セットを買ってみる。「スシ」は「カブキロール」という名前で、やたら高かった。お寿司はNYで食べたのがよかったが、これもそんなに悪くはなかった。わさびが別添えになっていて、いちいち塗るのが面倒くさいくらい。
ホテルの近くまで帰り着き、大手チェーン店らしき本屋さんに入るが、私の集めている猫の写真集などはなかったので何も買わずに出る。昨日から活字中毒の禁断症状が出ているので、英語の本でもあれば買おうかと思ったが、ない。イタリアに行ったときは、イタリア語版の「猫の図鑑」というオールカラーの本を入手し、「目」とか「足」などといった単語をそれで覚えられたので、フランス語版があるかと思ったのだが。

十七日。
今日帰るのである。あっという間の滞在だった。朝のうち少し散歩して、朝食を多めに摂る。飛行機が半端な時間なので、これでおなかをもたせようというわけだ。
ホテルから地下鉄二駅先に「奇跡のメダル教会」というややあやしげな名の教会があり、そこには130年間遺体が腐らない「聖カタリーナ」様がいるというので興味をひかれたが、ご遺体を見ることが出来ないとのことで行くのをやめる。どういうしかけなのだろうか、腐らないというのは。日本でも、腐らない(ということになっている)高僧の遺体の話はたくさんあるし、シチリアのカタコンベ(通称ミイラ博物館)には生きているとしか見えない少女の遺体があった。死蝋でもなく、生前の姿を保つことなどあるのだろうか。アメリカの死体化粧術であるエンバーミングでもすれば別だろうが・・・。
空港に着くと、日本人の姿も多くすでに帰国したような気分である。このまま飛行機に乗ってしまうと読む物がなくて苦しむのは必定なので、売店で雑誌などを物色していたら、以前から気になっていた「外国人のための日本の観光案内書」があるので手にとってみる。「ロンリー・プラネット社」発行というのは、「地球の歩き方」みたいなシリーズであろうか。かなり分厚い。なお、「地球の歩き方」は、田舎や小都市に行くときはまったく役に立たないのでみなさんご注意ください。グルーンミシュランがわりといいのだが、フランス版は現在売り切れ。
「JAPAN」というその案内書をぱっと開くと、トウキョウのアキハバラが大きく紹介され、その下のコラムは「ニホンノフシギナカミサマ」と題され「キツネ」「テング」「カッパ」「ベンザイテン」などがごちゃまぜに紹介されている。おもしろそうなので少々高いが買う。
読み始めると、これがやめられず、結局関空到着まで一睡もせずに「京都」「奈良」「大阪」「兵庫」の部分を読破した。なるほど、一般的な外国人さんが日本のどんなところに観光にくるのかよくわかる。京都では、定番のお寺のほかに、銭湯が(それも、地元民もよく知らないような小さな銭湯)が紹介されている。「京都はグリッド・システムになっているので、あなたは自分が立ってる位置をすぐに把握するであろう」などと書かれている。条坊制はこう訳せばいいのだな、いろいろと役に立つものだ、ふむふむ。巻末に「知っておきたい日本語」があって、「zen」「izakaya」と並んで「chikan」も見える。
関空は曇り空で、寝不足の私は、フランス滞在ののんびりした時間があっというまに遠ざかっていくのを感じつつ、日常に戻ったのであった。

・・・ということで、今もお骨の研究は継続中です。担当のT氏が締め切りを11月末などと言ってきたのですが、いろいろな問題に自分なりの解答を出すにはあまりに短いので(しかも、7月末と10月末にそれぞれ書き下ろしの締め切りがあるのだ! いくらなんでも無理でしょう)、三月末ということで納得してもらいました。さて、私のお骨への旅はそれまでに終わるのでしょうか。予定は未定、ということで、ここでつたない旅行記を終わらせて頂きます。おつきあいくださった方にはお礼申し上げます。
お骨関係の参考文献リストは、次回といたします。
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