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DATE: 2007/02/24(土)   CATEGORY: 未分類
『明治ニュース事典』と夢の話
・・・といっても、これは二つの、何の脈絡もない話題のことです。
本日、大学院後期入試が終了し、入試騒動は一段落いたしました。
あとは、原稿二つ書いたら春休み・・・おっと、三月にはウイーン大学にて特別講義をするのです。そのあとは、ゴーレムのふるさと(ということしか頭に浮かばない。だいたい、私が「プラハ行く」と言ったら、誰もが「ゴーレム?カフカ?」しか言わん)プラハの春を楽しむ予定です。

さて、今日、同僚のK先生から面白い本を教えていただきました。
『明治ニュース事典』(毎日コミュニティーズ)です。
近代などをご研究の方々は、「なにをいまごろ」と冷笑されるとは思うのですが、古典専門の人はあまりご存じではないはず。
これは慶応から明治末年までの主要ニュースを年代順に編纂した本なのです。それぞれの巻は、項目が「あいうえお」順に並んでいます。ただし、現代仮名遣いになっているのが玉にキズだそうです。
私がこんなものを読んでいるのは、鴎外の「鼠坂」論を書かなくてはならないからです・・・。
(私は鴎外が本当はあまり好きではないのですが、なぜか、読めば読むほど頭がおかしくなるような不思議な感覚になる作品があるので、それは妙に気になります。それに、私だって森茉莉さんとおんなじような境遇ではあるし・・・単なる町医者の娘だけど)

この事典、最終巻だけ借りて来て、電車のなかでざっと目を通しましたところ、

 おもしろいです!!!

たとえば、西太后失脚のところなど、

「西太后、五十年にわたり政権を掌握」(明治41年11月17日、大阪毎日)(略)芳紀十七、選ばれて宮中に入り、咸豊帝の妃として三千の寵愛を一身に集め、(略)

とあります。古典研究者ならすぐにわかる、「長恨歌」のもじり、というか、そのまんまです。あの西太后、美人だったんでしょうかね。
新聞にこのような「文飾」がなされていたよき時代、というべきでしょうか。このころの新聞記者(これは、「鼠坂」にも出てきますが、かなりのごろつきふうに描かれています)には、今の人から見れば「教養」があったのかもしれません。今の新聞の「悲しみの帰宅」などといった紋切り型よりも、いうなればもっと紋切り型なんですが、しかし、西太后もこう書かれたら気分悪くないでしょう。

このころは、南極探検隊の白瀬中尉の話題が、やたら出てきます。ほかにも、中央線が名古屋まで開通とか、陵墓の確定をやったとか、白木屋の話とか、話題満載です。
お寺とお坊さんの話題には、仕事を忘れて目が引きつけられます。明治末年ころ、身延山が日蓮宗の本山になるんですね。その前には、池上本門寺のご門主さまが亡くなったりと、日蓮宗にもいろいろな事件があったことがわかります。

ああ、これ、あと全部見なくちゃ・・・。

さて、次はまったく関係のない夢の話です。
実は私、15歳からずっと「夢日記」をつけています。
なぜ15歳かというと、ちょうどその年、安部公房の『笑う月』という夢記のような小説集が発刊され、それに刺激されて自分もつけてみようと思ったからです。
後日、同じようなことをしていた明恵さんを知り、非常に親近感を覚えましたが、明恵さんの夢はやっぱりお坊さんっぽい(当たり前だ)ので、筒井康隆のようなはちゃめちゃぶりがないのがものたりません。映画の「未来世紀ブラジル」みたいな感じ、がないんです。
「夢日記」といっても、毎日全部の夢を記録しているわけではなくて、記憶に鮮明に残っているものがあるときだけ、枕元に常備してあるノートに書き付けておくだけです。あるときはテープレコーダーを使ってみましたが、これは、朝のぼけた声が、何言っているのかわからないまま録音されているだけで、すぐにやめました(朝、非常に寝起きが悪いのです。ほとんど「ゾンビが墓場からはい出てくる」といった感じで目覚めます。起き抜けに道路を歩いたりするとほんとうに車にはねられそうになったりするから危険なので、少なくともでかける二時間前に起床しています)。
ちなみに、枕元ノートはいつでもメモがとれるように置いてあるものです。中国では「馬上、厠上、枕上」といって、この三カ所ではアイデアが浮かびやすいらしいのです(出典、失念)。で、私も「枕元、トイレ、車ではメモできないのでお風呂場」にメモを置いています。筆記具は鉛筆がベストです。ペンだとにじむ。お風呂場のノートはもちろんポリ袋に入れてあるんですよ。

この「夢日記」のノートは誰にも公開したことがありません。かなりたまっていますが、なかにはとても整ったストーリーのものもありますので、夢を見るのが楽しいこともあります。私の場合、色、匂い、感触、味、すべてが揃っている(ように感じているだけかも)夢です。しかし、悪夢、というのも確実にあるもので、これは数日間気分が悪くなることもあります。
私の夢には、なぜか定期的に出てくる「街」があるのです。もちろん架空の街でしょう(あったら怖い。スティーヴン・キングみたいになる)。それはこんなふう。
街はずれは赤茶けていて、「疱瘡神」のいしぶみが建っています。すすき野原を抜けてゆくと、ざわついた飲み屋(飲み屋が出てくるのが私らしいかもしれない)が、まるでカスバ(行ったことありません)かフェズ(ここも行ったことありません)のように、迷路状になって立ち並んでいます。どこも外から座っている人々が見えるのですが、抹茶色ののれんがかかっていて顔はみえない(このへん、精神分析の人が好きそうなイメージですね)。
迷路を抜けると、そこはなぜか断崖絶壁(隠岐の断崖に似ています。ここは行ったことがある)の下に、白い波がわれてくだけてさけてちるかも(実朝ね)。

この「街」がずっと昔から(まあ、飲み屋、というものにゆくようになってから、」くらいですね)たびたび夢に出てきて、そのときどきで「事件」が起こるのでした。
そういえば、SF作家の石川喬司さんも、「夢の街」シリーズを書いてましたね。ま、山尾悠子さんみたいな美しくもグロテスクな夢ではありません。

さてさて、昨夜はひさしぶりに「夢日記」の一ページを埋めました。「街」の夢ではありません。名付けて「古典文学の夢」?

「私」がある古いお寺で古文書調査をしていると、ぼろぼろになった巻子本(巻物)が出てきて、苦労しながらひもといてみると(ノリがはがれた巻子本ほど広げにくいものはない)、これは「宇治十帖」の「並びの巻」なのでした。「並びの巻」とは、ごく簡単にいえばある巻と同時期に起こっていた事件や出来事を書いた別の巻のことです。その名も「黄揚羽の巻」(これは、「千年の恋 ひかる源氏物語」というくっだらない映画に、揚羽の君という架空の語り手が登場したせいかと思う)。
虫食いがあってぜんぜん読めません。だいたい、夢だとこういう「世紀の大発見」は絶対読めないことになっています。読めなくて読めなくて苦痛になってきたとき、場面展開。このへんが、いいかげんな夢の話ですが。
気が付くと、「私」は天台座主になっています(昼間、電話で父と話して、「81歳でもがんばらんと。天台座主さんなんか、89歳やでえ」と言ったことに由来すると思われる)。ときは当然南北朝時代(みたい)。「お山」(「山」といえば比叡山)は貧乏になっていて、ふすまなんかはぼろぼろで、食べ物もないのです。そこへ、ある猿まわし(このへん、室町時代、入ってますね)が世にも美しい、とも思われない少年をつれてきて、お座主さんの稚児にしてくれという。見れば、少年はいやにつるんとした顔で、髪はぼさぼさですが、異様なのは手足がまるで細い棒のようにまっすぐなのでした。関節もないくらいまっすぐに見えます。「私」は猿まわしに米をめぐんでやると、その少年に「かはまろ」(これは稚児の名前としては変。貴族に使える雑色クラスの名前です。本来なら「玉若」とか「花丸」などにするものです)と名付け、「だっこ」するのですが、かはまろはとっても軽くてまるで今にも風で飛びそうに思えます。そこへなぜか水干を来た品のない若者たち(水干も実は変)がやってきて、かはまろにアゲハチョウの作り物(黄色だった)を梅のずはえ(若枝)に刺したものをひらひらさせてこんな今様を歌います。

かはまろ いつか てふになる てふになる

あまりに現代的な言葉使いなので、「教養のなさ」がバレバレ(^^;
かはまろは「私」に「だっこ」されたまま、作り物の蝶を見ているのでした・・・。

夢はここで終わり、いや、これ以後は覚えていないのかもしれません。
分析するに、ここには昼間の他人との会話と、「蝶々」のイメージが反映しているようですね。私はあまり蝶々は好きではないのですが、「黄揚羽の巻」もそれと通じ合っているようです。蝶々を見かけるような季節でもないのに・・・なぜでしょう。
それに「かはまろ」は私のBL趣味(そんなもん、ないわい)ではなく、うちの猫が姿を変えて出てきたもののようです。猫はいつも「だっこ」していますから。昨日は、机の前に張り付いている私のところにしばしば顔を出しては「まだ?」といって鳴く猫があまりにかわいくて「だっこぜめ」してやったのでした。

もし夢で「黄揚羽の巻」が読めていたら・・・小説くらいにはなったかもしれませんね。

ちなみに、私の「夢の使い方」を特別伝授。
これは、論文の資料はほぼ揃っているにもかかわらず、まったくそれらがつながって見えてこないときにのみ、有効な手段です。
まず、寝る前に、集めた資料をとにかく全部、さっとでいいので読みます。これは絶対「全部」でなくてはだめ。
その後、むりやり寝ます。眠れない人は薬に頼ってもOK.
朝、頭に浮かんだことを枕元にメモします。どんなささいなことでも言語化していなくても、とにかく書いておく。
後で読み返すと、あら不思議。なんとなく、資料がつながっているではありませんか。
これを「睡眠学習法」と呼んでおります。今まで、二回、成功して論文になりました。

脳の本を読むと、睡眠中は、昼間得た情報を「海馬」が整理してくれるというらしく、この方法もそれで出来るのかもしれません。
ただし、これ、私以外の人はまだ誰も成功していないのですが・・・。

「夢日記」、まだまだ続く。
いつか、明恵さんの「夢記」みたいに、誰かが私の「自筆本」を発見してくれたら・・・なんて、思いませんよ。
夢はあぶくと消えてこそ夢。
うつしよは夢、夜の夢こそまこと、と言った人もいますけど。
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DATE: 2007/02/20(火)   CATEGORY: 未分類
頂戴したご本を紹介します
やれやれ、やっと入試業務から解放されたかと思ったら、卒業論文試問、修士論文試問、卒業判定、大学院入試など、まだまだ用事があったのでした。
昨日、大学へ行く前に、同志社大学の図書館へ本を借りに行ったら、地下鉄の出入り口で見知った顔とばったり。駒澤大学のSさんと学生たちです。「遊びに来たの。北野さんへ行くんだけど」とのこと。バス乗り場を探しておられたのでした。
駒澤って、もう春休みなんですか? うらやましい・・・・。

さて、今回は(余談。卒論の書き出しに「今回は・・」と書いている人が多かったけど、進学しない人には「次回」はないはず。なんだかおかしいです)、頂いたままであった本のなかからおもしろかったものを二冊紹介します。

一冊め。九州大学の今西祐一郎さんから頂戴した、平凡社東洋文庫の『和歌職原鈔』です。
よく知らなかったんですが、近世の人々が、昔の官職を和歌の語呂合わせにして覚えるための本らしいです。『職原鈔』だけなら北畠親房の手になるものですが、これはまったく近世のもの。
官職には「唐名」といって、中国風の呼び方もあるので覚えるのはかなり大変そうです。また、近世になってしまうと相当変わっているのですが、昔のことを知らないと恥、なんでしょうね。

おもしろいので、いくつか書き抜きを。

   八省之歌
中務。式部民部に。治部兵部。刑部大蔵。宮内八省。

ね? ちゃんと五七五七七になっています。うまいもんです。これじゃあ覚えるよねえ。
こういうのもある。国の大小を覚えるもの。

大国は。上総下総。上野や。武蔵常陸に。奥州ぞかし。

そして最後には、

官職を。知らねば事の。あらましを。ならはんための。口ずさみなり。

とあります。こうやって本当に覚えたのかどうか、そこが知りたいものですね。
なんだか、受験勉強の頃を思い出してしまったのはおそらく私だけではありますまい。「すいへいりーべ、ぼくのふね」とかね。しかし、五七五七七にするというところがなんともいいです。

二十年くらい前でしょうか。ラジオで、受験勉強をしているらしい高校生が古文の助動詞や動詞の活用を「仮面ライダー」の歌の替え歌にしていたのを聞いて感心したことがあります。「せ・○・き・し・しか・○」を「せまる~ショッカー」の歌にしたりしてね。「○」が入っているところがせつないというか受験生的。
ちなみに、私は仏教伝来を「ごみや」と覚えていましたが、父は「いちに、いちにと仏教が」=1212年でした。皇紀なんですわ。

とにかく、今西先生、ありがとうございました!

次は、すでに朝日新聞でも顔つきで紹介された、北海道大学の武田雅哉さんの『楊貴妃になりたかった男たち』講談社メチエ、です。
副題に「衣服の妖怪の文化誌」とあるように、異性装の話です。いつもの武田さんの博覧強記(狂気? 凶器?かも)ぶりにまたしても驚きます。男性ながら女装するというのが、決して近代のものではないことがよくわかります。そしてそこには、近代におけるジェンダー云々という要素があまりないことにも気づきます。
日本だって、男が女装する場合、ジェンダーの問題でするもの(「とりかへばや」など)と、職業上の理由でするもの(「持者」という占い師のような男巫)がありますから。

なかには、武田さんご自身が女装されたというエピソードもいくつか。私は残念ながらその写真を拝見していないんですが、あの方はやや濃い顔ながらきっと美女になられるだろうと思います。「あとがき」には私も登場。化粧パレットを贈ったのですが、彼はまだ化粧を体験していないらしい。

しなさい! 世の中が変わるから。

大学院時代、よくうちの下宿に飲みに来ていた後輩の男子・Kくん(今は某県の教育委員会にいる)にむりやりファンデーションを塗ってみたら(私は男性に化粧させる悪い酒癖があるのです)、私よりよっぽどノリがよく美しくなったのでやめちゃったことがあります。

とにかく、武田さん、ありがとうございました!

あんまりよい紹介にはなっていないかもしれませんが、この二冊はおもしろいです。ぜひ、お手にとってみられることをお薦めします。

近況・その1
先日、イヴ・サンローランの化粧品を買いました。目の下に塗って寝ると、パックみたいになって朝はがせばつるつる、という不可思議な新製品をね。目の下問題に悩んでいた私は、ここ数日、乾燥から逃れられて快適です。でも・・・いつも担当してくれているBAさん(美容部員さん)は、「私も毎日塗って寝ているんですけど、いいですよ」と言っていましたが、これって、毎日使えるのは「独り寝」の人だけですねえ。だって、目の下に膜が張るんだもん。男のひとが観たらびっくりするよ。で、私は当然「毎日」使っております。ええ、猫しかおりませんもの。

近況・その2
「華麗なる一族」というTVドラマが非常な視聴率である由。私は高校生時代に山崎豊子さんの小説にはまって(そのときも、「女の勲章」がTVドラマになっていたのです)、授業中に読んでいて取り上げられた経験があり、山崎さんの(文学とか小説としてはどうかわかりませんが)リーダビリティーは認めるところです。でも、なんで今頃「華麗なる一族」なんでしょう? いまさら「鉄が日本を動かす」なんていっても、80年代生まれの人には何のことだかさっぱりわからないでしょうが。松本清張のドラマ化とともに、不可解な現象です。

ところで、「華麗なる一族」の万俵家のお屋敷があるのは、私が乗り降りする阪急の「岡本」の山の上、ということに、小説ではなっております。どこにあるんや? と思いながら通勤する私。
また、極め付きの「悪女」役をやっている「相子」さんですが、原作では「奈良高等女子師範学校」を出てアメリカへ留学し、離婚して帰国したところ万俵家の家庭教師に雇われた、という経歴になっています。奈良女子高等師範学校は、私の母校・奈良女子大学の前身ですが、ここって、今はましになったかも知れませんが、昔から「やぼったい女がゆくところ」という伝統があったんです。でも、当時は女性が行ける大学はなかったので、女子高等師範というのは一種のエリートです。また、国立なのでお金がない子女でも勉強すれば行けたわけです。というと、この「悪女」である「相子」は、お父さんが教師で大阪出身とありますから、「家から通える高等教育機関、しかも教職がとれるし、国立だから安い奈良女」を選んだ、とっても当たり前の選択をした女性なわけです(私の選択もほとんど同じだったもん)。それがどうしてあんなに悪く描かれているんでしょうね?
奈良女出身者としては、あんなに「相子」がきれいになっているのは、おそらくアメリカで自分を磨いてきたからであろうと想像します。でなきゃ、奈良女子大学出身者というのは、もっと地味な職業についていたもん(たとえば、開高健の妻である牧羊子さんも同窓生ですが、サントリーの研究所勤務でした)。
ああ、私も、世が世なら万俵家の「執事」をやれたかもしれん・・・しかし、北大路欣也と同衾するのはねえ・・・ますます右太衛門に似てきましたね、あの人。いつも「目ばり」を入れているような目とかね。

なお、山崎作品には登場人物に二つの男性のパターンがあるようです。
一つは、「ぎょろりとした目」で精力的「男性的」なタイプで、これは万俵鉄平、『白い巨塔』の財前五郎タイプ。結果的に失敗することもある役割。
もう一つは、「女のように白い顔」をした「女性的」なタイプ。「華麗なる一族」では「美馬」がそうですし、「女の勲章」では銀四郎、「女系家族」では、忘れたが踊りの師匠をやっていた男などがそう。こちらは最終的に勝つんですね。
どちらがお好みでしょうか?

では、またまた。
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DATE: 2007/01/31(水)   CATEGORY: 未分類
「お骨」見学してきました
入試シーズンにより、明日からはしばらく更新どころではなくなりますので、今年度最後の書き込みになりそうです。

今回は、自分のメモを兼ねて「お骨と死体」の見学に行った話ですが、その前に・・・

小谷野さん、お読みですよね?

『一冊の本』2月号の小谷野さんの連載「美人好きは罪悪か? 2」を読んでいたら、小谷野さんの女性の好みが書かれているのに目がとまりました。いはく、

「一般的には卵形の顔に和風の目鼻だちが好きだが」
「小柄好みの私の・・・」

ということです。
よかった、私と全く反対のタイプで(^^)
でも、これって佐伯順子さんそのものではないかと思えてしまうのですが、どうなんでしょう。小谷野さんがしきりに佐伯さんを批判したりうらやましがったりするのはすでに「藝」になっているみたいですが、これは、「好きな女の子に好きと言えなくて、ついつい意地悪なことを言ってしまう男の子」と似てません?
それから、小柄で和風顔なら、上野千鶴子さんも充分その範疇に入りますね。十年ほど前、上野さんとバスに隣り合わせになっておしゃべりしたとき、あまりに華奢だったので「かわいい、かも」(今ふうに言うと「萌え」でしょうか)と思ってしまったことがあります。

さて、昨日、某大学医学部解剖学研究室に骨と死体の見学に行って参りました。今年はこのテーマで書くので、ぜひ実物を見ておきたいと思っていたところ、あるHPからこの大学のX先生(事が事だけにご迷惑がかかるといけないので、すべて匿名にしています)と連絡を取り合っているうち、今回の見学が叶ったのでした。
X先生は骨がとてもお好きだそうで、メールをやりとりしているうちに、何か感じるものがあったので、とても楽しみにしていたのです。

いろいろなものを拝見させていただいたのですが、むやみな公言がはばかられるものもありましたので、もっとも興味を持っている骨のことだけを書くことにします。

まず、私が関心を持っているものについて簡単にパワーポイントをお見せしながら説明させていただき、なぜ実物を拝見したいのかをお話しました。PPで「九相図」を写していると、教室のZ教授もやってきて、「膨張相」を一目見るなり「こりゃあ、くさいだろうねえ」とおっしゃるのです。死体の悪臭はかなりのものであるとのことですが、いかんせん、文系研究者が腐った死体に遭遇することなどめったにありません。しかし、X先生もZ教授も、死体=くさい、というイメージがまずわくのだそうです。なかでも水死体がいちばんひどい、などと、院生たちがお弁当食べてるなかで話がはずみます。
「九相図」には不可解なことがあるのです。
この図が解剖学的に正しい描写であることはすでに証明されているのですが、九つの腐敗してゆく場面のうち、ほとんどミイラ化した死体の次に、妙に色つやのよい死体を犬とカラスがむさぼっている図が出てくるんですが、これって順番がおかしくないですか?

これについてX先生にお尋ねしました。
「なぜこんな順番にしたかはわかりませんが、死体が放置されればまず犬やカラスの襲来は免れないでしょう。しかも、犬は力任せに肉を引きちぎりますので、手先や足先は骨ごと取ってゆかれてしまいますよ。だから、この次の「骨連相」みたいなきれいな全身骨格には絶対なりません」
「では、「骨連相」のようにきれいにそろった骸骨にしようとすればどうするのですか」
「犬などがいないとでころに放置するとなりますね」
うーん、「九相図」はどうして犬に食われる「噉食相」があんなにあとに来るのでしょうか。これは、「六道絵」の「人道不浄図」もまったく同じ配列になっています。
死体の様子はリアル、しかし腐る順番はフィクション、ということなのでしょうか。とすれば、なぜフィクションにしたのかを考える必要があります。この図のもとになったとされている「九想詩」の順番にそった、というのなら、「九想詩」はなぜこうしたかという点が謎です。

その後、実物の頭蓋骨(医学用語では頭骨)をいろいろ見せて頂きます。いくら精巧なものでも、レプリカの骸骨は実習には使えないとのこと。細部がまったく違うのだそうです。
持ってきて頂いたのは、インドから医療用に輸入された若い男性の頭骨です。今では人権問題があるのでなかなか入手できないそうですが、こうした人骨はほとんどインドかららしい。
もっとも驚いたことは、頭骨が非常に白くてつやつやしていることでした。とくに漂白したものではないそうです。下顎部ははずれていますが、ほかはきれいに残っています。
「きれいなものですね」と言うと、X先生は嬉しそうに、
「そうでしょう。骨って、美しいんですよ。動物の骨もきれいです」
「意外と重いようですが」
「骨は、保存状態によってかなり違いますね。土中にある場合、酸性土であればかなりぼろぼろになりますし、カルシウム分が多い土なら丈夫なままですよ。海辺もいいですね。大森の貝塚があれだけ残ったのも、海岸だからです」
「なるほど。では、火葬骨はどうですか」
「火葬でも、低温でじっくり焼くと、焼きしまってかなり丈夫です。でも、今みたいに高温で焼いちゃうともろくなりますね」
「どのくらい古い骨が残っているんですか」
「そりゃあ、縄文時代の人骨もありますし、私が今発掘しているのは弥生時代の集落ですが、ちゃんとした人骨が出土します。それに、頭骨ってそのままの形で出やすいものなんですよ」

実は、X先生は動物の骨がご専門だということで、そうした骨も拝見。標本室には、タッパーウエアに入れられた小動物のお骨がラベルを貼られてずらりと並んでいます。
キツネ、タヌキ、などはさすがイヌ科。非常に似ています。ハブの骨格標本なんかは初めて見ましたが、背骨がビーズみたいに糸に通してあってきれい。思わず「ネックレスに、ほしいですね」などと言ってしまった。小猿の頭骨は人間のそれそっくりですが、眼窩が顔に比してとっても大きいのでかわいい感じ。
「目や脳は、すごく早くに作られるんですが、骨はそれらが出来てからまわりを囲むように作られてゆくんです。ですから、(と、先生は人間の頭骨の前頭葉の部分を指さして)ここに脳のシワの跡が見えますね?
これは、先に脳が出来たしるしです」
「ふーん。では、目は?」
「目も非常に早く発生するうえ、子どものころから大人になるまでほとんど大きさが変わらないんです」
「子どもの目って大きくてかわいく見えますもんね」
「そうそう。目はずっと同じ大きさ。だから、小猿の頭骨の眼窩もこんなに大きいんですよ」

次は、ネコの骨を拝見。X先生も動物好きで、お家にネコがいたことがあるといいます。
ネコの頭骨って、後頭部が丸くてかわいく、そそられます。しかし、生きているときは見えないキバがとても長くてびっくりしました。このキバで引きちぎって、奥歯でかむということです。
こうした標本は、人間のものも含め、或程度解剖して肉をのぞいたうえでタンパク質分解酵素の液につけて作ります。「煮るのかと思っていました」と私が時代遅れなことを言うと、「昔は煮ていました」とのこと。

そして、弥生遺跡から発掘された頭骨も持たせて頂きました。これはインドの頭骨とはまったく異なり、ざらざらした表面が土の色に染まっています。下顎が脱落しているうえ、基底部(というのか、いわゆる底の部分)が抜けています。持つと非常に軽い。また、顔の全面に朱色が散っています。
「いわゆる風葬みたいにするとこうなっちゃうんですよ。かなり風化しているでしょう? その朱色は顔料で、魔よけですね」

このとき、とても気になることを発見しました。
頭骨の眼窩の部分はかなり深いのですが、その奥には視神経の束が通るくらいのとても細い穴があいているだけです。そして、このあたりは強度があるので、ほとんど壊れないというのです。
私が思い出した説話、わかりましたか?
そう、例の「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」ですね。
『袋草子』などを始めとする有名な「小町髑髏伝説」です。奥州の野原で「あなめあなめ」という声を聞いた男(業平、とされている場合もあり)が声の主を捜すと、頭骨の目からすすきが一本生えていたのを見つけます。男がすすきを抜いてやると、・・・(このあと、いろいろバリエーションがあります。落語の「のざらし」みたいな話も)。
「あなめあなめ」の正確な意味はわかっていませんが、「あな、目痛し」ではないかというのが共通見解です。

で、本物の頭骨をじっと観察すると、物理的にみて、どうしても眼窩奥の細い穴からすすきが生えるとは思えないのです。もちろん、頭骨が相当傷んでいて、目の底部が抜けてしまっていたということも想像できるのですが、先生にうかがうと、「それほどのダメージを受けていたら、頭骨じたいがばらばらになってしまっているはず」なのだそうです。
細い視神経の束が抜ける穴をかいくぐってくる器用なすすきがあったんでしょうか? うーん、謎。

ほかには、頭の横をまっぷたつに切られた頭骨もありました。実習用で、内部がよく観察できるように切ってある由(骨はしばらく水に浸しておけばかなり切れやすくなるそうです)。上の方を持ってみると、まさに「髑髏杯」そのものだったので、「浅井長政の髑髏杯、できますね」と言うと、先生が「ああ、髑髏杯にするんだったら漆かなにか塗らないともれてしまいますよ。頭骨には縫合部があって、絶対水分がもれるものですし、頭のてっぺんに動脈が通る穴もあいていますから。意外と頭骨って穴だらけなんですよ」「ふーん(なおも未練がましく手放さない私)」

最後にこんなこともうかがってみました。
「もしかして、今までに金箔を貼ったあとのある頭骨は出ませんでしたか」(当然、髑髏法本尊のことです)
「それは・・・見たことないですね。着色したものはありますが。骨ってすぐに色がつけられるんですよ」
「じゃあ、五色の仏舎利は作り物かもしれませんが、もしかしたら動物の骨を削って染めた可能性がありますよね」
「あるかもしれませんね」

このほか、非常にたくさんのことを教えていただき、また、先生にも私の知っている文献資料などをお話し、楽しい数時間がすぎていったのでした。

私がずっと疑問に感じていることの一つに、「なぜ骸骨は怖いのか」というものがあります。西欧でも日本でも、たぶん東アジアでも骸骨はケガレや死を象徴するものとなっているわけですが、これに恐怖感か気味悪さを感じるのは「本能」あるいは「生理的反応」なのか、それとも「文化」なのか、いくら考えても答えが出ないのです。
で、これもX先生に聞いてみましたら、先生が「生理的なものだと思います」と答えました。
「研究室や解剖室なんかにあるのなら何にも感じませんが、もし道ばたや自宅に骨が落ちていたらきっと気味悪いと思うでしょう」
この問題は、あくまで先生の個人的意見であり、各人の生育環境とも関わると思うのですが、やはりわからないままでした。

ほんとうをいえば、私は小さいころ、骸骨がとても怖かったのです。
なぜかというと、うちが診療所であったことは前にも書きましたが、子どもが悪さをしたときよく「××に入れるよ」(蔵、とか、押入、物置、など)といって脅すことがかつてはあり、当時の子どもたちにとってはすこぶるつきの恐怖だったのです。これ、うちの家では「レントゲン室に入れるよ」という脅し文句だったのですが、レントゲン室(レントゲンフィルムを現像する小部屋で、まっくらです)には骸骨の写真(レントゲンフィルムを乾かすためにつるしてあるわけ)がある、という思いこみがあり、私には非常に怖かったのです。
これって、骸骨が怖いのか、それともレントゲン室の怖さが骸骨への怖さに転化したのか、今でもわかりません。
その後、なぜか骨が大丈夫になり、それ以上に「好き」になってしまったので、レントゲン室がなぜあれほど怖かったのかよく思い出せません。
この点について、もしROMのみなさんの体験がありましたら、コメントにぜひ書き込んでくださいませ。

実物の骨を見たからといって研究がどれほど進むかはわかりませんが、今回は非常に貴重な体験でした。しらんことは専門家にきく、というのは、まさにあつかましい関西人そのものですねえ・・・。
それにしても、理系の研究者にも私のやっているような研究をおもしろく思ってくださる方があるというのは嬉しいものでした。これを機会に、どんどんいろいろな分野の方のところにおたずねにゆこうと思っています。
X先生、どうもありがとうございました!

では、みなさん、しばらく更新お休みです。

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DATE: 2007/01/26(金)   CATEGORY: 未分類
「虎図」続報
来週あたり、本の再校と校閲が戻ってくるとのことです。今は試験の採点や卒論読み、そして自分の勉強のみ。やや「優雅」な日々です。

さて、先日、京都国立博物館の特別展示「京都御所の障壁画」展と常設展の特別展「神像」「神仙図」などを見に行って来ました。特別展は、百五十年ほど前に新しくされた京都御所の御学問所や御常御殿の障壁画(今で言うふすま絵です)が初めて展示されるというものですが、私の本当のねらいは常設展です。
常設展というのは奈良博でも東博でも数百円で入場でき、いつもかなり空いていますが、これがあなどれないのです。美術史の研究者はだいたい定期的にのぞいているみたいですね。あっと驚くような国宝、重文クラスのものや、初展示ものがさりげなくあるので、これが穴場というわけです。今ではよく知られている「宝誌和尚像」(顔がわれているお像です。『表象の帝国』の文庫版表紙にも使われています)も、以前ずっと京博の常設展示に「ぼそっ」という感じて置いてありました。「一遍聖絵」がかなり長く展観されていたこともあります。

あまり期待せずに行った障壁画でしたが、一つ発見がありました。
それは、以前このブログで書いた円山応挙筆の「虎図」を手本としたと思われる土佐光文の「虎図」があったことです。
虎三匹が、竹林の中を流れる川の水を飲んでいる図ですが、やはり応挙のものよりは数段劣るとしかいいようがありません。虎二匹の姿はほぼ応挙の図を模していますが、やはり光彩は「縦」型です。しかし、目つきがまるで出来損ないの獅子舞のお獅子みたいでした。

しかし・・・やはり虎の光彩が「縦」というのは気になります。

そして次は常設展の「神仙図」へ足を運ぶと、ここには中国絵画を模したと思われる虎の図がありました。虎といっしょに三人の仙人が眠る姿を描いた絵は「四睡図」というテーマとして有名です。
ところが、この虎の光彩は「丸」なのです。これは、おそらく、日本の絵師が中国の虎の絵をお手本にしたせいではないかと思います。

かなり長い間そこで過ごし、いろいろ考え事をしながら帰宅しました。
翌日、同僚でイギリス史専門のI先生が動物園の講演の話を受けたというので、虎のことを話してみると、「動物園の人に、虎が水を飲んでいる写真を探してもらう」と約束してくれました。
本日、その回答が来たのですが、なんと、一時間待っても水を飲まないはずです、虎って、ほとんど水を飲まない動物なのだそうです(多摩動物園の担当者さんの談による)。よくわからないのですが、虎は腎臓が特別な構造になっており、尿を濾過して再利用できる体なので、猫みたいに水をたびたび飲む必要がないとのこと。

わからんことは、聞いてみるものですね。
ということは、日本における「水を飲む虎」は完全なフィクションである可能性が高くなり、そのモデルが「水を飲む猫の姿」である可能性も同時に高くなるというわけです。
「竹に虎」というのは「捨身飼虎図」のころからのおきまり、取り合わせですが、そこに「水を飲む」というイメージを持ち込んだのは、私が見た限りでは応挙が初めてではないかと推測します(それ以前にもあるのかも知れません。もしご存じの方がありましたらコメントにてご教示ください)。
もしかしたら、猫が水を飲む姿を見ていた応挙は「虎だって水を飲むだろう」と考え、「虎図」を描いた・・・かも知れません。

この問題はさらに追求することにしたいと思います。

なお、常設展の「神像」展も見応えがありました。
神さんばっかりの像ではありませんよ。初公開の仏像もありました。
会場に入って「え? どうしてここに西大寺の文殊さんが?」と思ったのですが、非常に立派な西大寺の獅子に乗る文殊像そっくりの文殊さんがあったのです。
見ればみるほど似ているそのお像は、岡崎の金戒光明寺のお像で、昨年やっと補修なったばかりである由。文殊の頭の中をレントゲンで撮ってみると、明らかに舎利が入れられた水晶塔らしきものがあったそうですが、結局開けてはいないらしい。
よくわからないらしいですが、この文殊は西大寺の律僧・叡尊に関わるものということでした。なぜ律宗と京・岡崎が関係するのかもわかっていないらしい。

これは調べてみる価値がありますねえ。時代はちょっと違うけど、岡崎といえば律宗の中心寺院の一つである善法寺も近いわけだし。

そのほかのお像も、「よくわからない」という説明が多かったので、これは研究者にとって非常に刺激になる展示であると感じました。なかでも仏像なのか、神が仏の姿を借りている神像(神仏習合の像、というべきでしょうか)なのかわからないものもあり、これはまことにお徳な展示でした。
しかし、ほとんど人が入っていません。空いているのはとてもらくちん。
ただ、常設展の場合、図録がないんですね。だから、写真で改めて確認することが出来ないのが辛いところです。

「神仙図」の部屋には最近気になっている長谷川等伯のものもあり、非常に勉強になりました。
常設展をあなどるべからず、です。

なお、最近仏像関係で気になっているのは、かつて論文にも書いた東寺の夜叉神二体のことです。これ、今では夜叉堂というところに入っており、『東宝記』にも夜叉神のことが出てくるので、これがそうだというふうに伝えられているのですが・・・どうも私はこのごろ、これが本来は夜叉神でなかったかも知れないと考えるようになってきたのです。
夜叉神は二体あり、片方を「雌」片方を「雄」としているのですが、どちらもかなり怖い顔をしていますし、両腕を始めかなりの部分が破損しているので、正確な姿がわかりませんから、夜叉神と決定する根拠は考えてみると全くないのです。

で、私の推測は、これが不動明王の脇侍であるコンガラ・セイタカ童子像ではないか、というものです。もちろん、本尊の不動明王が並んでいるわけでもなく、今は失われてしまった可能性が高いのですが、どうも夜叉神の顔つきや姿勢を見ていると、二童子に見えて仕方ない。

これは単なる推測ともいえない「思いつき」なんですが、どなたか証明してくださらないでしょうか? 少なくとも、他に夜叉神像の用例がない(ない、と思いますが)限り、これを夜叉神と証明することは出来ないと思うのですが・・・。

今週日曜日は、金沢文庫の特別展示「鎌倉の学問」と、東博の新春恒例展示である等伯の「松林図」を見に行ってきます。金沢文庫の聖教は一括重文指定されたので、これからはあまり直接拝見出来なくなる恐れがあるかも知れません。
悲しいなあ・・・。どんどん見せていただける資料が少なくなってゆきます。

このように、どうやら、今年のテーマは「骨と死体の文学」をはじめ、美術とかなり深く関わるものになりそうです。勉強せねば。できれば敦煌の「九相図」を見に行くくらいしたいものです。

なお、ちょっと宣伝を。
来週校正が来る『検定絶対不合格教科書 古文編』(朝日選書)の発売日が決まりました。3月16日頃の予定です。新聞に広告が載るらしいので、よろしければごらんください。
もちろん、広告で気になった場合は本体をご購入くださってもいっこうにかまいません、いや、強くお勧めしておきます。
こうやって本を書くと「さぞもうかるでしょう」などといわれますが、「仕込み」に時間とお金がかかっていますので、ほとんどとんとん、悪くすれば赤字です。
いまだに、「大学教授は岩波新書一冊書けば、一生食って行ける」などという昔話を信じている人が世間にはいるんですね・・・。
漱石の時代と違うってば。
あ、漱石の時代に岩波新書はなかったんでしたね。
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DATE: 2007/01/17(水)   CATEGORY: 未分類
芥川賞、直木賞その他(小谷野さままゐる)
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/

小谷野さま。その1
私も直木賞の該当作なしに疑問です。北村薫さんはあまりにベテランなので落とされたか。いわゆる時間三部作(『スキップ』『ターン』『リセット』)でじゅうぶん受賞出来たと思いますが。ただし、北村さんは登場人物が善人すぎるものが多いという弱点(というか、私はそこがやや好きではない)があるように思います。すっごく優等生的なんだよね。候補作の『ひとがた流し』は、私などと同世代の女性たちを描いている作品なので連載中に読んでいましたが、「こんな善人いないよう」と叫びたくなる場面がしばしばでした。あえて女の汚いところを書かない方なんでしょうか。ミステリの方は文句なしに評価するんですがねえ。北村さんのミステリは、人殺しが出てこないものほどいいと思います。「円紫さんと私」のシリーズはもう読めないんでしょうか、残念。

星野智幸さんの小説は、「ふつう」の人にはわからないでしょう(私もよくわかりません。豊崎由美はえらく評価してるが)。中原昌也さんも、高樹のぶ子が三島賞だったかな、選考委員を辞めるとか辞めないとかいってごねていましたね。

時期を逃すと取れないのが芥川・直木賞です。山田詠美と車谷長吉が直木賞というのも変といえば変。
(長吉っつあん、姫路ではものすごい有名人になっています。この人のように、芥川賞を落選したとき、選考委員のわら人形を作って五寸釘打った、とかいう嘘かもしれないエピソードは、私もやりかねないので大好き。ちなみに私は先日、姫路出身の某有名人の名前を冠した賞の候補になって落ちたらしい。あれだけ悪口書いた人たちが選考委員に入っているにもかかわらず、候補にしてくれたのはむしろ偉いかも知れませんね)

それにしても石原慎太郎、「大江戸線」などといういいかげんな地下鉄の名前付けるようなセンスで選考委員なんかしちゃいけませんよ。

小谷野さんへ、その2
怪獣映画がお好きなようですが、同世代の私もかなり観ていますよ。
どの映画か忘れましたが、ゴジラが清水寺の舞台にやってくるシーンがあったんです。そのとき、座席の京都市民たちの間からいっせいに「ああー」というため息がもれたのを、小さかった私は聞いています。たぶん、ショックだったんだと思いますね。しかし、ゴジラはなぜか清水寺をつぶさずに帰ってゆくのでした。
これって、「京都に原爆が落とされなかったのは、アメリカ人が京都の文化財を尊んだためである」という伝承と同じ効果があったんではないか、と今でも思っています。
もちろん、この伝承は嘘であることが、吉田守男さんの『京都に原爆を投下せよ』(角川書店)にて証明されていますが、今でもこんなことを言っている人は多いです。

モスラはいちばん好きな映画なんですが、東京タワーに繭をかけたシーン、東京の人はどう思ったんでしょうか? 
最近、「プリティモスラ」という小さなモスラが出てくるリバイバル映画がありましたね。さすがに恥ずかしくて観ていませんが・・・。

小谷野さま、その3
高校生のとき、バートン版『千夜一夜物語』(岩波文庫、全26巻)を通読し、そのうえで、図書館にあるいちばん分厚い単行本である、辻邦生『背教者ユリアヌス』を読了するのが一部の生徒の間ではやりまして、残念ながら私は二番手に甘んじた記憶があります。それで、次は『大菩薩峠』に挑戦してやっと一番手をとりましたが、『徳川家康』は挫折しました。家康がなかなか産まれないんだもん。

最近ビュトールの『時間割』が文庫になったのでびっくりしました。これって、昔家にあった世界文学全集で読んだのですが、ずっと「変な推理小説」だと思っていたのです。隣りの巻がポーだったんで、てっきり推理小説だと思いこんでいました。
カルヴィーノなどはお読みになりますか? これもほとんど邦訳されましたし、文庫になりました。でも、単行本版の『見えない都市』の装丁がいいんだけどねえ。
村上春樹がチャンドラーの『ロング・グッドバイ』(昔は『長いお別れ』)を訳したらしいので、楽しみです。これはアルトマン監督の映画が非常に私の感覚に合っていて、フィリップ・マーロー役の俳優さん(エリオット・グールド、とかいった)がイメージにぴったりだった記憶があります。それ以前は、ロバート・ミッチャムなんかがマーローをやっていて、これじゃあ、片岡千恵蔵が金田一耕助やるような違和感がありますからね。金田一耕助役は、ATGが作った『本陣殺人事件』の、痩せていたころの中尾彬がいちばんいいと思います。

今日もおしゃべりしてしまいました。たいへん失礼。「本家」に比べるべくもありませんが、まあ、「ドッキリチャンネル」貴子版、というところで(あつかましいか、あまりに)。
ただのおしゃべりだから、読み飛ばしてくださいまし。

追伸。生涯勉強、をまたしても痛感
今、日露戦争のことについて初歩的な勉強をしているんですが、「義和団の乱」と言ってはいけないらしいことを知り、改めて自分の認識の甘さを痛感しました。このごろは「義和団運動」というらしいです。伊丹十三さんの「北京の55日」はいずこ? 「乱」ではない、ということでしょうか。このままだと、「承久の乱」も違った言い方になるのかも知れません。上皇が倒幕運動したんだから、安部内閣にとってはおもしろくないかも。「承久事件」への言い換えは近い? 
ほんとうに、勉強しなくちゃ・・・。
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